目兎龍日記

徒然なるままにオタクが硯に向かひて書くブログです。

あゝ志摩マリンランド

はじめにー弾丸マリンランド訪問のきっかけ

 

この世に永遠なんてものはなくて、それは愛するものであっても同様。

 

そんなことを、あらためて思い知らされました。1月29日、何の前触れもなく投下されたこのツイートで。

 

 

あまりに唐突な出来事。このツイートを見てしばらくは、何も考えられませんでした。

 

志摩マリンランド近鉄のお膝元、三重県志摩市の賢島にある水族館です。三重県下には鳥羽水族館という日本最大級の規模の水族館もあり、志摩マリンランドはそれに比べると知名度も規模も劣ってしまいます。しかし、僕はこの水族館が大好きです。

この度、営業休止の知らせを聞き、いてもたってもいられなくなったので、お別れの意味も込めて最後になるかもしれない志摩マリンランドに行ってきました。訪問レポートのようにしようかとも思ったのですが、これまでたくさんの思い出をくれた志摩マリンランドに感謝の意を表するべく、思い出振り返りブログにしようかなと思います。とはいえ、訪ねることができない人が行った気になれるように、訪問時の様子もしっかり書きたいとも考えているのであしからず。

 

最初に一つだけ、言わせてください。今世界中がコロナウイルスの脅威にさらされ、日本でもいまだその危機は去っていません。そんな中、

 

「ただでさえ混雑が予想される水族館に、それも京都から行くとは何事だ!けしからん!!」

 

そう考える方もいるでしょう。それについて、まず弁明させてください。

今回マリンランドを訪れたのは2月下旬。まだ緊急事態宣言の渦中にある地域もありました。しかし、宣言の効果か少しずつ事態は落ち着いてきており、十分な感染対策のもと行動すれば感染の可能性、ウイルスを知らない間に運ぶという可能性は低いといえる状況でした。それに加え、マリンランドは3月末で営業を終えてしまいます。もう一生、行くことができなくなるかもしれないのです。マリンランドに行くことは、「不要不急」ではないと思います。そのようなことを考え、今回マスクの着用はもちろん、こまめな消毒、人と距離をとった行動など、細心の注意のもと訪問したということをお伝えしておきます。

 

…こんなことを言わないといけない世の中、つらいですね。

 

では、ここから本題です。僕の志摩マリンランド惜別のブログ、どうぞ最後までお付き合いください。

 

 

 

 

 

ペンギンー空腹と興味の化身

志摩マリンランドに入って、最初に見えるのはたくさんのペンギンたち。

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現在は、フンボルトペンギンとケープペンギンの二種類のペンギンがいます。昔は(僕が子供の頃は)キングペンギンもいたような?うろ覚えですが

 

このペンギンたちとの思い出といえば、やはり餌やり体験でしょうか。

多分小2の頃、家族でここを訪れた時に餌やり体験をさせてもらいました。ペンギンたちの間近に行き、魚を直接与えるという大変貴重な経験。しかし、同時にそれなりに過酷な経験でもありました。

 

あいつら、めっちゃ迫ってくるんです。大群で。

 

ペンギン特有の人懐っこさなのか、それとも食欲なのか…。とにかく、小2の自分には少し怖いくらい、襲い掛かってきましたね(つつかれもしたし)。懐かしいなあ

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あの頃僕を襲った子でしょうか(多分違う)、大あくびでした。今はただ可愛い。

 

干潟展示―何でこんな展示したの?

さて、ペンギンがたくさんの人の心を鷲掴みにしているその脇で、誰の人目に触れることもなくひっそりと、僕の大好きなスポットがあります。

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干潟の再現コーナーです。というか、写真に自分の影が落ちすぎている。写真下手か?

 

元々僕が海の生き物好きになったきっかけが干潟の観察会で、そのうえ中高時代はクラブで干潟の調査をしたりしていたので、干潟という環境には特に思い入れがあるんですよ。そんな僕の心をときめかせてくれる、素敵なコーナー。

 

もちろん、他の水族館にも干潟の展示はあります。ただ、水槽の中に干潟っぽい空間を作って生き物を入れているといった言ってしまえば簡素な展示が多く、こんな野ざらしで、現実の干潟のように満ち引きまで作ってある展示ってのはそれほどなかったような。妙なところに力を入れているなぁと、見るたびに感心するものです。

 

ただ、あまりにも現実に近いせいか、冬場は寒くて何の生き物もいませんでした。ぴえん。

 

古代水族館ーもはや博物館

館内入ってすぐ、左手にロマンに満ちたコーナーがあります。

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それがこの、古代水族館。地球47億年の移り変わりを、壁画やジオラマ、「生きている化石」の展示などで体感できる空間。それがなぜマリンランドにあるのかは謎ですが。

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こんな感じ。壁画にはそれぞれの地質年代を代表する生き物が描かれていて大迫力です。小さい頃恐竜図鑑を眺めて大喜びしていた時の記憶が甦り、まさに旧友と再会したような気分になれる。マリンランドでも特に大好きなコーナーです。

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ガー。

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カブトガニ。こうした「生きている化石」の生体展示も、抜かりない。

そして、

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「死んでいる化石」の展示も充実してます。何だよ、もう博物館じゃん。

伊勢志摩地域をはじめ日本で見つかった化石はもちろん、海外産の化石(レプリカ?)も展示されていて、大変見ごたえがあります。上のイクチオサウルスの説明書き「海にいた恐竜」ってのはちょっと引っ掛かりますが…。こういうちょっと抜けているところも、志摩マリンランドの味です。

 

本館ー定番も、マニアックも

館内はこんな感じ。

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水槽が映える、暗い館内は水族館の定番ちゃ定番。展示されている生き物も、サンゴ礁にいるカラフルできらびやかな魚がよく目につきます。これは、まあどこの水族館でも同じですね。特別マリンランドらしさというものは感じられません。

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ウツボ。可愛い。でも、

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こんだけいると話は別。ちょっと気持ち悪い()

 

のんびり口半開きで佇むやつ、水槽内を自由に泳ぎ回るやつ。あと1か月少々で引っ越しだというのに、マイペースな奴らばかりで癒されます。

 

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コバンザメ。彼らの神髄は自慢の小判で引っ付くことなんですが、

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引っ付かずにその小判をさらしている子もいました。こんな姿をじっくり見るのもなかなかに珍しい経験では。

 

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ハリセンボン。

こいつの前に指をやって、水槽越しに追いかけっこさせて遊んだのはいつだったかなあ。指についてきたのはその一回きりでしたが、楽しくてずっと追いかけっこしてました。この日はこんな調子だったので、追いかけっこはなし。

 

定番の生き物だけではなく、ちょっと珍しい生き物やマリンランドならではの生き物の展示も充実してるのがいいところ。

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金銀銅のオニオコゼ。金はもともと銅だったとか。めでたい。

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魚が大きく見えるという「球型水槽」。何で大きく見せようとしてるのかは永遠の謎。館内にこれだけしかない球型水槽のボスは、骨の見える魚とキスが喧嘩の武器の魚。これもずっとこの二種類のまま。

説明書きの字体もいいよね。

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コンペイトウの赤ちゃん。可愛すぎる。写真では大きく見えるものの、実際は爪ほどの大きさ。無限に眺めていたい。親もいるよ。

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今や水族館の定番「ニシキアナゴ」。マリンランドはその名付け親。マリンランド好き三重県民のちょっとした自慢。そしてこの説明だけ写真に撮って肝心の魚は撮ってない。なぜ…

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そして個人的なオススメはこいつ。

幼体の姿のまま大人になるのがアイデンティティアホロートルが、何の間違いかしっかり大人になってしまったやつ。

ウーパールーパーらしさは、強いて言えば肌の色くらいか。体型も変わり特徴を失い、エイリアンのような姿になったこの子は、生き物好きなら大喜びの一体。

少し下ったところに、たくさんのタッチプールがある子ども達に大人気のコーナーがあります。

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中でも大人気なのが、ドクターフィッシュ。昔は本館入ってすぐにいて、マリンランドの掴みを務めてたんですが、いつからかタッチコーナーの長になってました。

僕も来たら毎回手を掃除してもらいます。

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いやどんだけ群がるんだよ。僕の手汚すぎ…?

かじられるというより削られるような感覚が癖になる。それに、顔が可愛い。

 

回遊水槽ー海女の餌付けに釘付け

本館の目玉は、おそらくこの回遊水槽でしょう。

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大きな魚が、円状の水槽内をすいすいと泳ぎ回るその姿は、圧巻の一言。

この水槽では、伊勢志摩地域(というより鳥羽が有名ですが)の名物といっていいのかわかりませんが、有名な「海女」による餌付けイベントが行われます。といっても、僕が行くときはいつもタイミングが合わず、実際に見たことはなかったんですが、今回はようやっと見ることができました!やったぜ!!

 

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写真下手すぎワロタw

いやあ、感動のあまり見とれてたら写真を撮るってことを忘れてまして。慌てて撮ったらこのざまです。

まあ、この目によーく焼き付けて思い出にしたので、いいでしょう。大型魚に囲まれて餌をやっていた海女さん、あっぱれです。

 

マンボウ館ー真の主役はマンボウではない

本館とマンボウ館の間には、昔超小規模のゲームコーナーがあって、ぬいぐるみのUFOキャッチャーなんかで遊んだ記憶があるんですが、今はオオサンショウウオや地元の水産高校の生徒による展示になっています。

あのゲームコーナー、ローカル感があって好きだったなあ。もちろん、今の展示もいいですがね。

 

さて、マンボウ館はその名の通り、マンボウが展示されている場所です。

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志摩マリンランドの看板、マンボウ

県下の水族館でマンボウが見られるのは、マリンランドだけです。もっと大きなマンボウとか、巨大なエイが昔はいたのですが、今は小さめ(といっても大きいですが)なマンボウが数匹泳いでいます。

 

ペンギンの餌やり体験をしたのと同じ日だと思うんですが、このマンボウ水槽のバックヤードに入った覚えがあります。マンボウが餌をもらっているところを見たような?記憶が曖昧です。その時の写真とか、残ってないかなあ。

水槽の側にはベンチがあり、ここに腰掛けゆったり泳ぐマンボウを眺めながらのんびり過ごすってのが、至福のひと時なんですよ。まあ、今回は人がたくさんいたので座ることはできませんでしたが。

 

さて、マンボウ館はその名の通り、マンボウが主役のエリアなんですが、個人的にこの建物の主役は違う展示だと思っています。それが、こちら

※この下、ちょっと生々しい写真を載せるので苦手な人はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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足が96本あるタコと、

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巨大なサケガシラ

 

正直、マンボウより迫力あります。96本足のタコは、実際にマリンランドで飼育されていたようです。サケガシラは志摩に上がった個体で、サケガシラ界では最大級の個体だそう。

子どもの頃見た時に衝撃を受けてからすっかり虜になって、マリンランドに来る度に見てしまう。このためにマリンランドに来るのもいいですよ()

 

マンボウ館の上は展望台になっていて、英虞湾を見渡すことができます。

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冬の海はきれい。

伊勢志摩サミットの舞台にもなった、皇室御用達のホテル「志摩観光ホテル」も見えます。写真には写ってない。いい加減にしろよ…

 

おまけのコーナーー日本有数の名俳優と面白電車

お土産コーナーに向かいますが、それまでの短い道のりにも見るべきものがあります。

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ガメラ」の映画に出演した、名俳優カメ。

さすがカメ、僕が子供のころからずーっとここにいますが、いまだ元気です。可愛い。ちなみに本館には、彼らの子どもガメがたくさんいます。ガメラの子。

 

そして、とっておきはこれ

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近鉄100系のアトラクション。

 

…はい、冗談です。元々は100系新幹線の遊具だったのに、いつの間にかアーバンライナーの塗装になってしまいました。さすが近鉄運営の水族館。例え子供向けの遊具とはいえ、JRの存在を許さない。

 

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微笑ましいですなぁ

 

 

 

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こっちはちっとも微笑ましくない(1年ほど前の写真)

 

 

お土産とレストランー永遠の宝物を求めて

お土産コーナーに向かいます。

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入り口で出迎えてくれたペンギンで泣きました。こちらこそ、たくさんの思い出をありがとう…

マリンランドのお土産といえば、下敷きです(個人の感想です)。

子どもの頃に使っていたんですが、これを機に永久保存版として新品を購入。さすがに下敷きの絵柄をここに載せるのは違うかなって思うので、皆さんもぜひ行って購入してみてください。ちなみに、お土産コーナーはチケットを買わなくても入れます。

 

 

その他マリンランド土産を買って、二階にあるレストラン「マリン」へ。

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「マリン定食」(1500円)を注文。

 

いや、正直高いですよ?ええ。バリバリの観光地価格です。マリンランドに来るのが目的ではなく、伊勢志摩観光が目的の人なら、もっといいご飯屋さんがあると思います。

 

でも、この時の僕は違います。最後のマリンランドを限界まで楽しむのが目的だったんです。だからいいんです。

 

美味しかったですよ。それは間違いない。

 

さようなら、マリンランド

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以上、思い出をたどりながら最後のマリンランドを楽しんできたっていうブログでした。再入場無限回できるので、僕も二周してきましたよ。

 

本当に、志摩マリンランドにはたくさんの思い出をもらいました。いまだに、営業休止が信じられません。

でも同時に、最後に訪れることができて本当に良かったです。これで、悔いなくマリンランドとお別れできそうです。マリンランドの生き物はいろんなところに移動するそうですが、つまり他の水族館にマリンランドは生き続けるということです。そう考えたら、お別れも少し寂しくなくなります。

 

マリンランドの魅力は、「ちょうどいい」ことだと僕は思っています。規模、入場料、展示内容、すべてが「ちょうどいい」。水族館が好きな人も、生き物が好きって人も、大人も子どもも、みんながちょうどよく楽しめる水族館。

あと少しでお別れですが、もし行く機会がありましたら、そんなマリンランドの魅力を全身で感じて頂けたらなと、勝手に思っています。

 

実はまだ、いつかまた帰ってくるんじゃないかって期待を捨てきれずにいます。もしいつか帰ってきてくれるなら、その時は笑顔で「お帰り」って言いたいなって思います。

 

志摩マリンランド、本当にありがとう。楽しかったです。

またいつか、会える日が来ることを願って。

 

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目兎龍の明日香散歩(キトラ・稲渕・祝戸編)

Happy birthday to me.

 

ということで先の12月27日、22歳の誕生日を迎えました。

22歳ですよ、いまだに気分はティーンエージャーのままですがこのままだとイタイ奴になってしまいますね。22歳の目兎龍も何卒よろしくお願い致します。

 

さて、誕生日を迎えたのはいいものの、まだまだ世間は感染症の危機に直面したままで、どこかへ出かけるのも憚られてしまいます。せっかくの誕生日だから、なにかはしたいんですが…

 

そうだ!!

 

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飛鳥に行こう!!!

 

ということで、今年n回目の飛鳥旅に行ってきました。飛鳥は「密」とは無縁の地。感染対策をしながら旅をするのにはもってこいの場所です。そして何より、私目兎龍が愛してやまない土地でもあります。前回の飛鳥旅の様子はこちらから↓

metronblog.hatenablog.com

写真の切符は、近鉄が販売している「古代ロマン飛鳥日帰りきっぷ」です。関西圏から明日香を訪れる人向けの商品で、指定区間乗り降り自由の乗車券のほか、飛鳥で使える割引券が二枚付いたお得な切符です。

今回はこの切符を使いました(注:単に往復するだけの場合、通常の乗車券を買う方が安くなるので気をつけてください)。

 

電車に揺られること1時間20分ほど🚃

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やってきました、飛鳥駅!!テンションはMAX!!!!

 

前日までの予報では曇りだったので、気温も上がらないだろうと防寒対策をしっかりしてきたのですがどうですかこの青空。気持ちいいくらい晴れています。天も僕の誕生日をお祝いしてくれていますね、ありがたいことです。

 

飛鳥駅からキトラ古墳

早速、旅を始めましょう。前回夏の暑い中飛鳥を歩いて回り、素晴らしい飛鳥の景色をじっくり味わうことができたので、今回は

 

 

 

徒歩です。今回も徒歩で回ります。飛鳥は徒歩。

 

 

 

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飛鳥駅からまっすぐ進むと、案内表示の看板があります。この看板に従い、まずはキトラ古墳を目指します。

 

これは今回の旅で初めて知ったのですが、この案内表示板、なんとWi-Fiに接続できます。少なくともauユーザーは、この案内表示の前ではWi-Fiを使うことができます。親切ですね。

 

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雲一つない青空のもと、歩みを進めます。この時点で持ってきていた防寒具はすべてキャストオフ。歩いていると暑いくらいです。

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進行方向左手、木々の合間から高松塚古墳が見えました。高松塚古墳は飛鳥に来る度に訪ねているので、今回はスルー。

 

しばらく進むと、何やら怪しい建物が見えてきます。

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もう少し近づくと、

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????????

 

まるで古代にタイムスリップしたかのような異様な竪穴式住居が二棟。そして奥には平屋の現代的な建物。脳がバグりそうな景色です。

 

ここは最初の経由地「檜隈寺跡前休憩案内所」です。キトラ周辺地区の案内のためのジオラマや休憩スペースがあります。竪穴式住居は謎です。

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これがそのジオラマ。キトラ周辺地区を訪ねる際は、まずこの施設で情報を仕入れておくとよいと思います。トイレの位置なんかも分かりますよ。

そして、この施設のほど近くにとある神社があります。

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それがこの「於美阿志(おみあし)神社」です。読めん。

於美阿志神社には、飛鳥時代に存在した渡来人の一族「東漢氏(やまとのあやうじ)」が祀られており、当時はこの地に東漢氏の氏寺「檜隈寺(ひのくまでら)」があったとされています。東漢氏といえば、蘇我馬子に仕え崇峻天皇暗殺の実行犯とされる東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)が有名ですね。このキトラ周辺地区は昔、渡来人の集落があったと考えられています。日本の文化、文明の開化を支えた渡来人たちの住んでいた地を訪ねていると思うと、不思議と背筋が伸びます。

この日は、地元の方々がお正月の準備をしていました。こういう風景を見ているとほっこりしますね。日本の尊い原風景。

 

於美阿志神社を後にして、キトラ古墳へと歩みを進めます。せっかくなので、ハイキングコースとされている道を歩いていきます。

 

 

 

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た  す   け   て。

 

とんでもない異空間に足を踏み入れてしまいました。何だここは。

案山子のような、でもただの人形のような怪しい人型の何かに、シカやイノシシを模した藁人形。そして奥には再び登場竪穴式住居。

いったい何のための空間で、誰がこんなものを作ったのか。不気味ですがなぜだかとっても興味をそそられます。もう少し足を踏み入れてみましょう()

 

 

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やめとけばよかった。

 

人形の顔はどれも絶妙に不気味な表情だし、竪穴式住居にはまさかの「住人」がいるし。なにこれ怖い。

急いでここから逃げましょう。出られなくなる前に。

 

キトラ古墳

飛鳥が大好きといっている僕が、さっきの異空間を見てなぜあんな新鮮なリアクションをとったのか。実は恥ずかしながら、キトラ周辺地区を訪れるのは今回が初めてだったんです。初見であんなの見たら、こんなリアクションにもなりますよ。

 

さて、何とかあの場から逃げることができ、到着しました。

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キトラ古墳壁画体験館 四神の館」です。

ここでは、キトラ古墳に関する説明や、時には発掘された壁画そのものを見ることができます(壁画見学は事前予約制)。今回は壁画の公開時期ではなかったので、館内の見学だけ。

 

館内は写真撮影ができます。雰囲気はこんな感じ。

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天井には、キトラ古墳石室に描かれていた天文図を模した演出。

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そして、石室の原寸大レプリカも見ることができます。もちろん、壁画も再現されています。

また、気になることがあれば案内の方に質問すると教えてもらえます。僕も尋ねてみました。

 

目「高松塚古墳キトラ古墳も、盗掘は南側の朱雀が描かれた壁から侵入されていますが、何か理由があるのでしょうか。南側が開けていたとか?」

案内の方(以下、A)「そういうわけではない。牽牛子塚古墳もそうだが、北側から侵入しようとしてあまりに岩が巨大で頑丈だったため、南側から侵入している。南側が石室の出入り口になっているから、侵入しやすい」

目「なるほど」

A「欽明天皇の頃は、地形に合わせて古墳が作られていたが、キトラや高松塚が作られた頃は皆南を向いて作られた。宮も、飛鳥岡本宮の頃はその傾向は見られないが、板蓋宮や浄御原宮の頃は南を向いて作られている。そしてこの頃に、天文図などが伝来し南を重視するようになったのではないか。だからキトラや高松塚には天文図が描かれている」

目「当時の大陸から伝わった文化によって、南を意識するようになったんですね」

A「キトラは高松塚より20年ほど前に作られていると考えられていて、これは石室の天井部分の形でそう考えられている。高松塚の天井は平ら。そして、20年ほど古いキトラの白虎は北を向いて描かれ、四神が一続きになる様になっているが、高松塚は白虎が南を向いている。高松塚が作られた頃にはより南を向くという思想が強化されていたのでは」

目「ありがとうございました。」

 

僕は宗教や古代の価値観についてはまだまだ勉強中なので、南を向くことの意味はあまりわかりませんが、平安京なんかでも天皇が南を向いて右側か左側かで右京と左京が決まっていますから、古代日本において南という方角はきっと神聖なものだったのでしょう。大変勉強になりました。

そしてこの施設、なんと驚くべきことに無料で入れます。飛鳥は時々金銭感覚がおかしくなる。充実度合いと対価が釣り合わなさすぎる。

 

外に出ると、いよいよキトラ古墳とご対面です。

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…ちっさくない?

 

もちろん、古墳時代終末期の古墳なので小さいのは当たり前なんですが、それにしても小さい。高松塚古墳のイメージがあったのでより小さく感じます。こんな小さな古墳の中に、日本史上大きな発見が眠っていたのかと考えるとわくわくしますね。

古墳の前には、解説パネルや壁画の四神を鉛筆で写し取ることができるレリーフが置いてあったりします。次行くときは紙と鉛筆を持っていきます。

 

キトラ古墳から稲渕へ

キトラ古墳脇にある展望台で小休止。

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キトラ古墳の石室に使われている石は、写真に見える二上山の石なんだそう。あんな遠くから運んでくるなんて、よっぽどいい石だったんでしょうか。 

飛鳥の風景を眺めながら、セブンイレブンのおにぎりでお昼ご飯。シラス青菜おにぎり美味しすぎません?

 

さて、お昼ご飯を済ませて、いよいよ第二の目的地稲渕へ向かいます。こちらも初めて訪れる場所。どんなところなのでしょうか。

 

キトラから稲渕まで、歩いて40分くらいだそう。真夏日の中明日香村を歩いて回った僕には余裕ですが(慢心)。

 

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明日香村栗原にあった案内看板を見ます。「現在地」から北に少し進んだところを右に曲がり、歩き進めます。写真中央あたりに、稲渕の文字が見えますね。ちょうど、行き道に通った休憩案内所の前の交差点を右折。

 

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のどかな風景。

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明日香村で小高い丘を見かけたら全部古墳じゃないかと疑ってしまうくらい、飛鳥は小さな古墳がたくさん。ちなみにこれは本当にただの丘らしい。

 

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小高い丘の麓に鳥居。天皇陵の証です。写真は「文武天皇」。ちなみに文武天皇の墓については、最近の発掘調査で中尾山古墳が本当の墓であると判断されていますが、じゃあこの陵は誰のなんだって話ですよね。そんな飛鳥の謎に思いを馳せながら、歩みを進めます。

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「かんきつ発祥の地」だそうです。飛鳥は古代ロマンに満ちた地であると同時に、農村地域。特に果物の生産が盛んなようで、至る所にかんきつやイチゴの農園があります(ここでは便宜上イチゴを果物とします)。

 

というか…

 

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坂しんどい。

 

この写真の場所でまだ目的地まで半分くらいの所なんですが、延々このようなだらだらとした登り坂が続きます。歩くことを想定した道ではないからか、歩道もありません。時折通過する車の運転手が「なんだこいつ?」みたいな感じで見ていきます。

 

うるせー、ただの飛鳥オタクだよ。

 

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「今ならまだ引き返せるよ?」と言わんばかりの案内看板。それでも負けじと進みます。この先に待つ、まだ見ぬ景色を目指して。

 

そして…

 

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ついに到着!第二の目的地「稲渕」の風景です。正確には奥の方の集落は「祝戸」なのかもしれませんが、今はそんなこと考えている余裕はありません。長い道のりを経て、ようやくたどり着いた景色。しばし堪能しましょう。

 

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飛鳥川 たゆたう稲の渕の田の 永く来るは 悠久の路」

 

この地は万葉集にも詠われた地。僕も調子に乗って一首詠んでみました。素人だから温かい目で見てください。一応、

飛鳥川が揺蕩い、稲も揺蕩う稲渕の田を見るために、飛鳥の悠久の歴史と同じような長い道のりを来たよ」

みたいな意味です。はい。

 

稲渕

キトラからはるばる40分かけてやってきた稲渕の地。山に囲まれたこの集落にはいったい何があるのでしょうか。

 

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稲渕で毎年秋に開催される恒例の「案山子コンテスト」。その作品の写真が張り出されていました。

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シュールすぎる。

 

キトラでも見ました、こんなシュールな作品を。飛鳥的センスということなのでしょう。二枚目なんて、かつて政治の中心であり国際交流の拠点でもあった飛鳥らしいいい作品だと思います。「案山子」なのかは怪しいですが…タテカン?

 

そんな案山子コンテストの作品を堪能し、さらに奥へ。

 

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男綱」です。

 

稲渕地区では毎年正月、「綱掛神事」といわれる行事が行われ、その時に毎年かけられる綱です。五穀豊穣と子孫繁栄、悪疫退散を願いかけられるのだそうです。稲渕よりさらに奥「栢森」集落でも同じように綱掛神事が行われ、そちらの綱は稲渕の男綱に対し「女綱」と呼ばれています。

 

…ちなみになぜ「男綱」なのかは、なんとなく察してください。綱の中央についてるものがいわゆるそれを模しているからです。

 

稲渕では、もう一つ見たいものがあります。

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手で案内してもらっていますね。従いましょう。

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めっちゃ狭い道を行きます。両脇には畑もあって、本当に地元の人専用の道らしい。気を使いますね。

このような細い道を進むと、川が流れており、そこに目的のものがあります。

 

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万葉の飛び石」です。

 

飛鳥川 明日も渡らむ石橋の 遠き心は想ほえむかも」(詠み人知らず)と万葉集に詠われる飛び石で、古くは万葉の時代から今まで残る風景であることがわかります。

この川を、飛び石を眺めながら、大切な人を思った作者の気持ちに寄り添ってみたり。

 

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渡ることもできますよ。冬だからでしょうか、水が透き通っていて大変美しい。

川のせせらぎを聞きながらいつまでもいられそうですが、お気づきの方もいるでしょう。そう、曇ってきてるんです。

少し肌寒くなってきました。名残惜しいですが、次の場所に移りましょう。

 

ちなみにこの稲渕の集落では、皇極天皇が、長く続く日照りを収めようと祈りをささげ雨をもたらしたともいわれています。稲渕には「九頭竜」と言われる竜神様の伝説も伝わっており、もしかしたら彼女の祈りが竜神様に届いたのかもしれませんね。

 

稲渕から祝戸へ

さて、今回の飛鳥旅で目的地として考えていたのはキトラと稲渕の二か所だったので、後は復路になるわけですが、せっかく来たのですから違う道を戻ることにしましょう。

 

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微笑ましい「いなぶち」の文字を横目に進みます。

 

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祝戸地区を目指します。遠くから子どもの泣く声が聞こえてきて心配になります。大丈夫だったでしょうか…

飛鳥ののどかな空気の中にいると、子どもたちの遊ぶ声が時折聞こえてきて癒されます。のんきだなあ。

 

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のんびりと歩いていたら到着しました、祝戸です。「いわいど」と読みます。

特に何があるのか、あまりよくわかりません。宿泊施設「祝戸荘」があるということぐらいしか知りません。

 

 

と思っていたら…忘れていました「こいつ」の存在を…

 

 

 

この先少しだけ卑猥です、閲覧注意

 

 

 

 

 

 

 

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_人人人人_
> 一物 <
 ̄Y^Y^Y^Y ̄

 

 

そう、まごうことなき「あれ」です。名前も「マラ石」とド直球。

何のために作られたのか不明の石造物で、おそらくは子孫繁栄や豊作祈願のためのものなのでしょう。「あれ」はそういうものの象徴として扱われることが多いですから…

 

さらに驚くべきことに、こいつには相方がいます。それが向かいにそびえ立つ山、

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ふぐり山」です。

 

何で相方がいるんだよ。もうなんか、楽しんでるでしょ。

 

これらを見学していたら、地元の方でしょうか、たくさんの人が集まってきました。

なんだかとっても恥ずかしくなって、そそくさと退散してしまいました。誕生日に何をやってるんだ僕は…

 

祝戸から岡寺へ

本当に気恥ずかしくなった。家の中で一人で下ネタ考えてるときは大丈夫なんですが、オープンな空間での下や他人が話している下はどうも恥ずかしくなってしまうんですよね…昔からです。

 

さて、後はもう帰るだけなんですが、この時時刻は午後1時。まだ帰るには早い。

 

ということで、せっかく来たのだから「あのお寺」にお参りしようと思い立ちました。ついで参りは良くないことだと教わってきた人間ですが、「今年の厄払いと22歳の1年の安泰」をお祈りしようと目的をもってお参りすることにしました。仏さまもそこまで厳しい方ではないでしょう。お許しください。

 

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石舞台地区を経由。前回訪れたので、今回はスルー。しかしいつ来ても、石舞台周辺はにぎわっていますね。他の寺社や遺跡古墳はそんなに(というかほとんど)混雑しないんですが。

 

石舞台から、信号を右折して山道を進みます。また坂。少しずつ足にダメージが溜まっていきます。

 

飛鳥を楽しんで回れるように、脚力と体力が必要ですね。来年は運動しないとなあ。

 

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徒歩専用のショートカットルート。ね?徒歩で回るべきだというのはこういうことなんですよ。

 

岡寺

 

そう、「岡寺(龍蓋寺)」にお参りします。

 

岡寺は日本最古の厄除け観音とされ、西国巡礼7番札所にもなっています。正式には龍蓋寺(りゅうがいじ)といい、開祖義淵僧正(ぎえんそうじょう)がかつて飛鳥の地にいた悪龍を小池に封じ込め蓋をしたという伝説に由来します。

ご本尊は日本最大の塑像とされる如意輪観音像で、インド、中国、日本の土を使い弘法大師空海が作られたものとされます。白い肌と赤い口元のコントラストは、美しくもありどこか異国情緒や不気味さも覚えます。ありがたいのには間違いありませんが。

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お参りしてきます。

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本堂の脇に、「厄除鐘」なるものがありました。一突きすると、ありがたい鐘の音が境内に響き渡ります。

 

岡寺によれば、数え22歳は男の厄年だそうです(大厄ではありません)。僕は実年齢22歳ですが、22歳なことに変わりはありません。観音様にお祈りし、この1年無事に過ごせるようお願いしてきました。

 

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おみくじ。22歳だから22番という、安直な発想。

 

いつも末吉どまりの僕ですが、この日は中吉。「今日よりもさらに素晴らしい明日になる」みたい。嬉しいですね。

 

岡寺から飛鳥駅へ

岡寺で無事お参りを済ませ、いよいよ駅へ戻ります。しかしわざわざ遠回りをして、甘樫丘の方まで回ろうとするのがよくないところですね。できるだけ長く飛鳥を楽しみたい。そういうことです。

 

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岡寺参道。寺直前に坂が猛威を振るうのでお参りの際はご注意ください。僕は足を砕かれました。

 

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道中見かけた飛鳥自販機。ほしい。「飛鳥」の文字のデザインが最高ですね。

 

ここから先は、飛鳥寺や水落遺跡などこの前の旅でじっくり堪能した場所を眺めて回っただけなので省略。詳しくは前回のブログをご覧ください。


metronblog.hatenablog.com

 

 遠くに「雷丘」を望む。

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柿本人麻呂の「大君は神にしませば 天雲の雷の上に廬りせるかも」という歌が万葉集に収められています。かつてこの丘に雷神がおり立ったのだとか。

 

飛鳥一のお気に入り「亀石」にも顔を出してきました。やっぱりかわいい。

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今回は正面から撮影。

 

その後、ダメージが限界に達した足を何とか引きずりながら飛鳥駅へ戻り、今回の旅を終えました。

 

最後に

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以上、5時間半14kmに及ぶ飛鳥旅、終了です。

 

足こそくたばりましたが、非常に充実した誕生日を過ごすことができて満足しています。

今回の旅は、今まで訪れたことのない場所を中心にめぐりましたが、やはり飛鳥は奥が深いですね。まだまだ知らないことがたくさんあります。

 

また、今回はあきらめてしまった場所もあるので、次はそういったところを回りたいですね。もちろん、徒歩で。

 

ここまで読んでくださりありがとうございます。ここまで読んでくれた人はいるのかな?ぜひ飛鳥に足を運んでみてくださいね。「密」とは無縁の世界なので、このご時世どこかお出かけしたいなあと思う人におすすめですよ。

 

それでは、また。

目兎龍の明日香散歩(高松塚・甘樫丘・石舞台編)

こんにちは

明日香村に取りつかれたオタク、目兎龍です。

 

 昨今の情勢や個人的な事情により、なかなか訪れることができませんでしたが、この度思い切って久しぶりの明日香村に行ってきました。

 事前に、「久しぶりだし、全力で巡ってやろう」と思い旅をはじめましたので、結果飛鳥のほとんどの場所をめぐることができました。今回は、旅日記兼飛鳥の観光プランの提案として、このブログを読んでいただけたらと思います。

激長のブログになると思いますが、最後までお付き合いください。

 

 

旅を始める前に

 明日香村は、決して大きな村ではありませんが、見所盛りだくさんの村なので一日で回りきるのは不可能です。そこで、旅に出る前に「ここだけは確実に訪れたい」という場所を決めておきましょう。ちなみに今回僕は、「飛鳥にある石をできるだけ見よう」というテーマで行程を組みました。

 次に、移動手段を決めておきましょう。現地についてから、移動手段に悩むのは時間がもったいない。飛鳥観光の主な移動手段として挙げられるのが、レンタサイクルバス小型電気自動車(MICHIMO)です。明日香村は狭い道も多いので、自家用車で回るのが困難な道や自動車進入禁止(歩行者自転車用道路)の道もあります。そのため、小回りが利くレンタサイクルがおすすめです。一日900円で借りることができ、営業所も多いため借りやすいです。また、MICHIMOを使いたいという際は事前に予約が必要なので注意しましょう。ちなみに今回僕は徒歩で回ることにしました。個人的に最もおすすめの回り方ですが、それなりに体力を要することをお伝えしておきます。

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これがMICHIMOです。非常に可愛らしい、二人乗りの電気自動車で、3時間3000円から利用できます。

 最後に、飛鳥についたらまず確保したいものを紹介します。

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「飛鳥王国パスポート」です。

一冊100円で、飛鳥観光のモデルコースやそれぞれの概説、さらにお得なクーポンがついています。クーポンを使えば簡単に100円の元は取れてしまううえ、情報盛りだくさんなので必ず手に入れておきたいアイテムです。

近鉄飛鳥駅前「飛鳥びとの館」などで購入することができます。

飛鳥駅から猿石へ

それでは、いよいよ旅を始めましょう。まず目指す場所は、吉備姫王墓(猿石)です。

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グーグルマップより

このように歩き進めていきます(雑でごめんなさい)。

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飛鳥駅の駅舎は、こじんまりとしているものの和風な外観で飛鳥の景色になじんでいます。

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先ほど述べた飛鳥びとの館は、飛鳥王国パスポートの他に観光用の地図やパンフレットも置いてあるのでまず立ち寄るのがいいと思います。今回はスルー。

駅を出て、交差点を左に進んでいくと、

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一つ目の信号「下平田」交差点に当たります。ここを右折。

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中に入ると一気に農村風景に様変わり。いい天気だったこともあり、とても清々しいです。明日香村のあちこちに、観光地への向きや距離を示す看板が立っており、猿石も例外ではありません。看板通りに左折して進みます。

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猿石と書かれた看板が立っています。第一の目的地「猿石」に到着です。

 

猿石は、吉備姫王墓の中に四体置いてあります。「吉備姫王とは誰だ」という方は、僕が以前描いた「明日から明日香あす散歩」を読んでいただけると幸いです( https://twitter.com/i/events/1242683143720599552 )。簡単に言うと、飛鳥時代の重要人物を産んだスーパーお母さん。

 

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こちらが猿石。一枚目左から順番に「女・山王権現・僧・男」と名前がついています。古代日本で行われた芸能伎楽をモチーフにしているのではないかと考えられており、飛鳥の西の玄関口にモニュメントとして飾られていたそうです。どこか憎めない表情をしており、初めて見た時から虜になっています。今回も相変わらず愛嬌があって可愛かった。

欽明天皇陵から鬼の俎・雪隠へ

さて、吉備姫王墓と猿石を離れ、次の目的地「鬼の俎・雪隠」へ向かいます。

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グーグルマップより

吉備姫王墓の側には、飛鳥唯一の前方後円墳欽明天皇」があります。欽明天皇は、百済聖明王から我が国に正式に仏教が伝えられた(いわゆる仏教公伝)時の天皇で、彼が蘇我稲目に仏を信じてみよと進めたことで、わが国で仏教信仰が始まりました。欽明天皇がいなければ、今の飛鳥の風景はなかったかもしれません。

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そんな彼を偲びながら、彼が眠る陵の脇の細い道を進みます。

 

ちなみに、無粋なことを言うならば実は欽明天皇陵はここではなくお隣橿原市にあるという説もあります。

 

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 美しい夏の飛鳥の景色を楽しみながら、のんびりと観光する。徒歩で回るからこその楽しみ方です。景色が流れるのではなく、景色と一体となる感覚を味わえて、大変幸せです。

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 到着しました、鬼の俎・雪隠です。

 元々はどちらも古墳の石室を構成する石だったそうで、雪隠の方が今の場所に転げ落ちたのだとか。この周辺は霧ケ峰と呼ばれ、鬼が霧を作り迷った人間を捕らえ、俎で調理し雪隠で用を足したという伝説が残っています。そんな伝説ができるほど前に崩れたのか、なぜ直さなかったのかと疑問に思います。もしかしたら、伝説にすることで観光客を呼び込もうとする当時の飛鳥人の商売魂の賜物でしょうか。余計なことを考えると鬼に捕まるかもしれないので、次の目的地に進みます。

天武・持統天皇陵から亀石へ

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グーグルマップより

 天武天皇持統天皇の名前は、日本史を勉強した人なら聞いたことがあると思います。壬申の乱に勝利して即位した天智天皇の弟大海人皇子天武天皇と、藤原京造営を行って律令国家への歩みを進めた持統天皇。そんな彼らが眠る陵は、欽明天皇のものと比べるとずいぶんと控えめです。当時の世界観を反映させた、八角形の石室を持つ古墳です。八角形の意味は、各自お調べになってください。当時「天皇」がどのような存在だったかがよくわかります。そんな彼らの陵を過ぎ、県道209号線に沿って亀石に向かいます。

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 県道209号線は、飛鳥駅から高松塚、甘樫丘、雷へとつながる飛鳥の重要な道路です。初めての飛鳥観光は、とりあえずこの209号線に沿って進むだけでも十分楽しめると思います。「野口」交差点の一本手前を中に折れると、亀石があります。

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 亀にもカエルにも見えるとても愛らしい表情をしたこの石は、いつ何のために作られたのかがわからない謎の石です。伝説では、このカメが西の方角を向くとき、飛鳥の地は泥の海に沈むといわれています。そんな一大事の引き金になるとはとても思えない、可愛い顔です。思わず頭を撫でたくなりますね。ちなみに今は西南を向いています。

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 明日香村には至る所に無人販売のための建物がありますが、亀石の側にも結構大掛かりな無人販売所がありました。亀石のお土産もあるらしいですが、今回は売り切れ。というより、置いてなかったかもしれません。なんせ午前中でしたから。こうした無人販売施設は明日香村なら割と普通に見ることができ、飛鳥を象徴する景色といえるかもしれません。

甘樫丘ハイキング

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 さて、当初計画していたルートではありませんが、思っていたよりも早く行程が進んでいたため急遽予定を変更し、甘樫丘に登ることにしました。

 甘樫丘は、大和三山や明日香村を見晴らすことができる小高い丘で、かつては権力者蘇我蝦夷が邸宅を構えていました。周囲を見晴らすことができるこの丘は、権力者が住むにはふさわしい場所だったはずです。しかし、そんな蘇我一族も、大化改新により衰退することになりますが、それはまた後程。

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 今回は、川原の方から登り、川原展望台を経由し甘樫丘展望台へ向かうことにします。ここまでの道のりで汗だくになっていたせいか、大量の虫の洗礼を受けながらのハイキングになりました。目や耳の周りを虫がまいまいしながらのハイキングは、清々しさとは程遠いものとなってしまったのが残念です。虫よけは必須ですね。

 さて、虫と一緒に経由地の川原展望台に到着しました。

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 川原展望台からは、明日香村ではなくお隣の橿原市方面が見渡すことができます。右の奥の方に写っているのが、大和三山の一つ「畝傍山」だと思います。いい天気で大変見晴らしもよく、虫さえいなければいつまでも見ていたい景色です。

 ちなみに川原側のふもとでは、春には菜の花畑を楽しむことができます。飛鳥はどの季節も、美しい風景を楽しむことができるので何度行っても飽きることはありません。

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 川原展望台を後にして、甘樫丘展望台を目指します。ここでも虫がたくさん挨拶に来てくれました。もうお腹いっぱいです。

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 到着、甘樫丘展望台です。一枚目は明日香村の風景、二枚目は大和三山を望む風景です。大和三山は左から順に「畝傍山」「耳成山」「天の香久山」だったはずです。いずれも古来より、大和を代表する山とされてきました。今はのどかな田園風景を湛える明日香村ですが、蘇我蝦夷がここから見ていた景色はきっと大きく違ったはずです。権力への欲望が渦巻き、血で血を洗う陰惨な景色が見えていたことでしょう。かつてこの地に人食いの狼が住んでいたことから、「大口の真神原」と呼んだそうですが、当時の飛鳥の状況を映し出しているように思えてなりません。甘樫丘から明日香を眺めていると、当時の景色がどのようなものであったかついつい考えてしまいます。

水落遺跡、明日香村埋蔵文化財展示室

 甘樫丘を下り、次の目的地は水落遺跡です。

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 下り方がわからず遠回りルートになってますが、お気になさらず。

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 ふもとから、甘樫丘と飛鳥川を眺めます。飛鳥という地名は、「安宿(アンスク)」という古朝鮮語が由来という説と、「ア+洲処(スカ)」を由来とする説があるそうですが、飛鳥川を眺めていると後者の説を信じたくなります。飛鳥の地には他にも複数の川が流れているので、きっとこの地は洲として出来上がったのだろうと思えます。また、「飛ぶ鳥」と書いて飛鳥と呼ぶのも、飛鳥川から飛び立つ水鳥が「明日香」の枕詞になったからだといわれており、飛鳥にとって川の水が重要であることがうかがえます。

 飛鳥川を眺めながら、地図通りに水落遺跡へと進みます。

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 いい雰囲気の住宅街。特になんてこともないですがつい写真に撮ってしまいました。この写真の交差点を左折すると、水落遺跡に到着します。

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 水落遺跡は、日本で初めて作られた漏刻(水時計)の跡とされており、中大兄皇子によって作られました。古代日本において、朝廷が人だけではなく時間も支配し始めた瞬間でした。ちなみにこれは今回初めて知ったのですが、次に触れる埋蔵文化財展示室の係の方によれば、現在「時の記念日」とされている日は水落遺跡に時計ができた日ではなく、近江の大津に時計ができた日になっているようです。水落遺跡の時計ができた日付けが不明確だからだそうですが、飛鳥の売りが一つ取られたと残念がるあの方の表情が忘れられません。飛鳥の人は郷土愛が深いようです。

 さて、それでは明日香村埋蔵文化財展示室に向かいましょう。この施設、驚くべきことになんと無料で入れます。

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 しかも館内は撮影自由、おまけに展示はかなり充実していて、大変すばらしい施設でした。さらに客が僕だけだったからか、係の方が展示の解説までしてくださり、大変ありがたかったです。展示内容の一部を紹介します。

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 展示は飛鳥の様々な遺跡から発掘されたものが見られますが、係の方の一押しは牽牛子塚古墳の発掘品らしく、今回行くことができないこともありその埋蔵品を中心に見学しました。写真は、牽子牛塚古墳の石室の内扉です。

 牽牛子塚古墳の被葬者は、斉明天皇とその妹の間人皇女であると考えられており、日本書紀の記述に一致するように娘の古墳が近くから発見されたのを見ても間違いないとのことです。発掘された装飾品も女性らしい装飾品が多いようです。

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 下の写真にある夾紵棺は、これ一枚で飛鳥のマンションなら余裕で買えてしまう価値があるそうです(飛鳥にマンションがあるかは別ですが)。そんなものを無料で見られていいのだろうかと不安になってしまいます。

 係の方は大変親切にしてくださり、解説や旅の安全祈願までされてしまいました。ありがとうございました。皆さんも飛鳥に来たら是非訪ねてみてください。決して損はありません。

展示室から蘇我入鹿首塚飛鳥寺

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 展示室の隣にある、あすか夢の楽市では、飛鳥でとれた農産物やお土産品などを買うことができます。今回はスルー。

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 車が通れない狭い道を歩きながら、蘇我入鹿首塚飛鳥寺を目指します。飛鳥寺周辺は自動車進入不可の道や一方通行の道が多く、車で訪れる際は注意が必要です。

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 こういう狭い道って、なぜだかとっても楽しいですよね。この先はどうなっているのだろうと、好奇心が掻き立てられます。まあ今回は先の景色もよく知ってはいるのですが。

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 蘇我入鹿については、日本史を勉強していない人でも名前くらいは聞いたことはあると思います。大化改新中大兄皇子中臣鎌足に討たれた、蘇我氏の本家最後の人間です。学校で習う歴史では蘇我氏は横暴で権力を持ったわがまま放題の連中という悪人的な印象が強いですが、彼らがいなければ日本で仏教信仰は広がっていなかったでしょうし、天皇中心の政治という古代の政治システムもできなかったでしょう。この首塚を見ていると、複雑な気持ちになります。大化改新ではねられた入鹿の首がここまで飛んできたとか、首だけになってなお襲ってきた入鹿を鎮めるために立てられたと言われています。やはり悪人(というより悪霊)ですね。

 首塚の隣にあるお寺が、飛鳥寺(安居院)です。現在は決して大きなお寺ではありませんが、飛鳥時代に建立された当初は、五重塔に三つのお堂をもつ大寺院だったことがわかっています。それもそのはず、このお寺は蘇我馬子が権力の象徴として建立したお寺だからです。

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 かつての中金堂にあたる本堂の中に、「飛鳥大仏」として有名な釈迦如来像がおられます。ほかの仏さまは奈良の大仏のように、先に仏像を作ってから周りを囲うようにお堂を作るのが一般的ですが、飛鳥大仏は先にお堂を立ててから、鞍作鳥によって作られた仏像を入れたそうです。重さは15トンに及び、建立当時は全身金色で青い目をしていたと考えられています。お顔立ちも相まって、異国情緒漂う仏様だったことでしょう。また、お寺の方のお話によれば、通説では建立当初のまま残っている部分はほとんどないとされていますが、4~5年前の調査の結果、かなりの部分が建立当初のまま残っているということが分かったそうです。今回の旅では、初めて知ることが多く、以前訪れた場所でも新たな発見があって楽しいです。

飛鳥寺から酒船石遺跡へ

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 さて、皆さんの記憶のはるかかなただと思いますが、今回の旅のテーマは「飛鳥の石をめぐる」でした。次の目的地は、研究者はもちろんのこと飛鳥中をにぎわせた石です。

亀形石造物

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 こちらの石です。何に見えますか?

 左の円い石が「亀型石造物」、その隣にあるのが「小判型石造物」と呼ばれている石で、その奥には井戸があります。ここでも、観光案内の方が丁寧に解説してくださったので、その話を中心にご紹介します。

 二つの石造物はいずれも2000年の発掘調査で見つかり、その後に井戸が見つかったそうです。この発見がなぜ世間で話題になったのかというと、亀や小判の石と、井戸の石の材質が異なっていたからだそうです。亀や小判に使われる石は、いずれも飛鳥で取れる石だそうですが、注目すべきは井戸の方。井戸に使われる石は、なんと飛鳥から離れた天理市・石上山の石だというのです。なぜ、遠く離れた天理の石が使われているのか。カギを握る人物は、斉明天皇です。

 斉明天皇は、日本書紀によれば大の土木事業好きだったそうで、飛鳥の住民はもちろん遠く広島などの住民も動員して、土木工事を実施したそうです。その工事により多くの人々が亡くなり、彼女が作った水路は狂心の渠と揶揄されました。つまり先に述べた天理産の石は、斉明天皇が土木事業好きだったという記述を裏付ける発見だったのです。この発見にはよほどの驚きと興奮があったのか、埋め戻して保存するか検討された際当時の村長が「このまま残そう」と指示したほど。

 では、この石造物は何に使われたのでしょうか。そもそも石造物が亀なのは、道教の世界観に基づくようです。のちに訪れる酒船石がある山(この山も斉明天皇が作ったそうです)を背負うように亀は存在します。道教の世界観では、亀は蓬莱山を背負ってくるとされ、この石造物の配置に似ています。そして、この亀は、古代の祭祀の際に禊を行うための場だったのではないかといわれています。井戸から流れ落ちた水は亀の甲羅にたまり、その水を使って禊を行ったというのです。古代飛鳥では、仏教が確実に広がりを見せる中、神々への祭祀も同時に行われていたのでしょう。これが今の日本に複数の宗教が混在する由縁かもしれないと、お話を聞きながら思いました。

 

  ちなみに、観光案内の方に興味深いことを教えてもらえたので、直接関係ないですがここで記しておきます。「飛鳥」と「明日香」の違いです。

  もともと明日香村は、阪合村と高市村と飛鳥村という3つの村でした。それが昭和31年に合併し、今の明日香村になったそうです。その際、「飛鳥」の字を使うと他の2村に不公平なので、「明日香」の字を使うことにしたそうです。現在では、「明日香」の表記を使うときは公的な機関によるもの、「飛鳥」の表記を使うときは通称という違いがあるようです。

  「飛鳥」という表記は古事記日本書紀に、「明日香」は万葉集に多く見られる表記なのだとか。教えていただきありがとうございました。

酒船石

 大変長くなりました。次に、亀が背負っている山を登り、酒船石を見に行きます。山を登っていると、途中に石のブロック(レプリカ)が転がっているのがわかります。

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 斉明天皇が山を作る際に運ばせた石でしょう。山まで作ってしまうとは、なぜそこまで土木事業に狂っていたのか理解しかねます。あ、なぜ僕が明日香にここまで狂っているのかってツッコミはなしですよ。

 頂上に着くと、不思議なみぞの入った石があります。これが酒船石です。

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 何のための石なのかわかっていません。濁り酒を流して清酒にするためのものだとか、松本清張の小説ではゾロアスター教と関係があるとかする説がありますが、ふもとの石造物と合わせて考えると、やはり祭祀に関係するものだと考えられます。古代飛鳥で、どのような祭事が行われていたのでしょうか。さらなる発見が期待されます。

酒船石から飛鳥宮跡へ

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 先ほどからたびたび登場する「大化改新」。その舞台となった場所を見に行きます。飛鳥宮と呼ばれる場所です。

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 歴史上、「飛鳥宮」と呼ばれる宮はありません、では、なぜこの遺跡が「飛鳥宮跡」と呼ばれるのか。それはこの場所に、複数の宮が置かれたからです。645年、中大兄皇子らにより蘇我入鹿が暗殺される舞台となった「飛鳥板蓋宮」、壬申の乱以後、律令国家への歩みを進める場所となった「飛鳥浄御原宮」など、複数の宮がこの同じ場所に作られたことがわかっています。写真に写っているのは、飛鳥浄御原宮の井戸の跡です。かつて日本を揺るがす大事件の舞台となった地に立ち、子どもが楽しそうに走り回っている様子を見ると、平和っていいなあとあらためて思います。今の飛鳥を歩いているととても想像できないくらい、当時の飛鳥は陰鬱な空気に満ちていたのかもしれません。

飛鳥宮跡から石舞台古墳

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 今回の飛鳥の旅では、それほど混雑というものに遭遇しませんでした。以前訪れた際はどこもそれなりに混雑していたのですが。次に行く石舞台古墳は、飛鳥を代表する観光地ですが、果たしてどうでしょうか。

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 飛鳥のシンボル、石舞台古墳に到着。これまで訪れたどの場所よりも混雑していますが、それでも以前訪れた時よりもずいぶん少なく感じます。感染症の影響でしょうか。ソーシャルディスタンスを保ったまま観光できるので、今の時期に飛鳥はお勧めですよ。

 石舞台古墳は、かつては他の古墳同様盛り土に覆われていた横穴式古墳でしたが、今ではその石室がむき出しになっています。その姿が石の舞台のようなので、石舞台と呼ばれています。石室に使われている石の重さは総重量2300トンもあるといわれており、どうやってこんな巨石を運んだのか不思議に思います。被葬者は不明ですが、蘇我馬子だという説が有力です。ここまで巡ってきた至る所で蘇我の名前が出てくることからも、当時の蘇我氏の権力の強さがうかがえます。

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 石室の内部に入ることもできます。前を歩く人と比べると、その巨大さがよくわかりますね。

石舞台古墳から橘寺へ

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 飛鳥時代を語るうえで、決して忘れてはいけない人がここまで出てきていません。そうです、聖徳太子です。次に訪れるのは、そんな聖徳太子が生まれた場所とされる橘寺です。

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 「聖徳太子御誕生所」と書かれた石碑の側の道を登ると、橘寺につきます。写真奥に見えているのが、橘寺です。今回は参拝はもちろん、境内にある不思議な石を見学します。

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 これがその石、二面石です。その名の通り、二つの顔を持った石であり、

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右側が善面、

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左側が悪面と呼ばれ、人間の心の二面性を表していると言われています。僕のように善面100%の人間にはよくわかりませんが、人間の裏表を一つの石で表そうという発想とその表現力には脱帽します。

橘寺には他にも、聖徳太子の愛馬「黒駒」の像も見られます。

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 ちなみに、聖徳太子として親しみ深い彼は、最近の教科書では「厩戸王」として教わるそうですが、僕は聖徳太子という呼び方が好きなのでこれからもそうやって呼ぼうと思います。

 橘寺の道を挟んだ向かいには、川原寺と呼ばれるお寺とその跡があります。川原寺はかつて飛鳥の四大寺と呼ばれるほどの大寺院だったそうですが、日本書紀にその名が出てくるほか記録が少なく、わからないことが多いようです。明日香村を観光する際は、こうした謎を解きながら回るのも楽しいですよ。

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川原寺から飛鳥歴史公園館へ

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 ここからは、飛鳥駅に戻りながらさらに観光を続けます。次に向かうのは「飛鳥歴史公園」です。

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 はじめにお伝えしておきますが、初めて飛鳥に来る方や観光プランを立てていない方は、まず最初にこの飛鳥歴史公園館に訪れるべきです。というのもこの施設は、明日香村のジオラマ模型を通して各施設の位置関係や距離感を把握できたり、明日香村の地図やパンフレットを自由に持ち帰ることができる、いわば飛鳥のチュートリアルなのです。

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 現在は感染対策のため使用できませんが、映像で明日香村の魅力や案内を見ることもできます。また、窓口には係の方もいるので、わからないことがあれば気軽に質問もできます。今回僕は、あまりに暑かったのでクーラーに当たりたいから訪問したのですが、飛鳥の生き物が飼育展示されていたり、写真展が行われていて楽しめました。

飛鳥歴史公園館から高松塚古墳

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 飛鳥歴史公園館から、高松塚古墳に行って美人を見ます。そう、高松塚古墳には美人がいるのです。

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小高い丘のようになっている高松塚古墳は、被葬者不明の終末期の古墳です。高松塚古墳の見所は、石室に描かれていた極彩色の壁画です。その壁画の模写や復元模写、出土品をふもとの高松塚壁画館で見ることができます。

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 館内は撮影禁止なので、実際に自分の目で確認してみてください。冒頭で「美人を見る」と言っていたのは、壁画として描かれていた「女子群像」のことで、俗に飛鳥美人と呼ばれています。上の写真の看板に描かれているのが、その飛鳥美人です。高松塚古墳の壁画は発見当時かなり傷んでおり、最近まで復元作業が行われていました。日本中で、壁画が描かれている古墳は高松塚古墳と、同じく明日香村にあるキトラ古墳の二か所だけです。なぜこの二か所だけ壁画が描かれているかはわかりませんが、薄葬令が出ている中少しでも自らの墓を豪華にしたいという被葬者の願いが表れているような気がします。そう思うと、発掘、復元されたことにも何か意味があるのかなと思えてきます。

高松塚古墳からあすか夢販売所へ

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 飛鳥観光もいよいよ終わりです。最後はお土産を見ましょう。飛鳥駅の向かいにある直売所「あすか夢販売所」でお土産を見ます。

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 あすか夢販売所は、最初に紹介した飛鳥びとの館と合わせて「道の駅飛鳥」を構成しています。ここでは、飛鳥でとれた農産物や、飛鳥のお土産を購入することができます。中は大勢のお客さんでにぎわい、今日訪れたどこよりも混雑していました。

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 大きなカボチャが並んでいました。僕はこういう風景が大好きです。ちなみに今回、僕は子供の頭くらいの大きさがあるナシを買いました。

旅の終わり―最後に―

 以上、6時間13kmに及ぶ僕の飛鳥観光の模様を超々長文でご紹介しました。もはや紀行文なのか観光案内なのかわかりませんね。今回、残念ながら祝戸地区とキトラ周辺地区を訪ねることはできませんでしたが、それでも、明日香村を大いに満喫することができました。これから、明日香村を訪ねようと思う方がいてくれるととても嬉しいですが、歩くのはとても大変です。よほど飛鳥に入れ込まない限り、レンタサイクルを利用するのが賢明だと思います。

 最後に、飛鳥を訪ねる際のポイントと思うところを列挙して終わりにしようと思います。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。よい飛鳥ライフを!

 

飛鳥を楽しむ4ヶ条

  1. 事前の計画をしっかりと練ろう
  2. 観光案内の方がいたら積極的に話を聴こう
  3. 事前勉強を軽くでもやっておこう
  4. 何度も何度も訪ねて沼にはまろう


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飛鳥旅続編「キトラ・稲渕・祝戸編」はこちらから→

 

metronblog.hatenablog.com

きらファン圭参戦に思うこと

最初にお断りしておきますが、僕は「がっこうぐらし!」(以下、ぐらし)も祠堂圭も大好きです。ぐらしファンの皆さんが彼女の参戦を喜ぶ気持ちを最大限尊重しています。そのうえで、言いたいことがあるってだけです。そして、「きららファンタジア」(以下、きらファン)をちょっぴり嫌いになりそうってだけです。


とあるフォロワーさんが常々「きらファンの召喚システムはひどい」(大意)との考えをツイッターで発信され続けています。僕としては、そういう考え方もあるかーくらいで深く考えてはいなかったのですが、その態度を反省しなければなりません。
きらファンに、ぐらしから圭が参戦することが決定しました。タイムラインは歓喜の渦に包まれ、多くがその参戦を待ちわびていたかのようでした。そんななか僕は、参戦決定の速報を大変に受け入れがたくいたのです。その理由を、以下に書いていこうと思います。ぐらしという作品を、きらファンというゲームを愛したオタクだからこそ、今回の件を黙って見過ごすわけには行きません。なお、以降ぐらしのネタバレが含まれると思いますので、ネタバレを望まない方はお戻りください。



まず、ぐらしという作品の側面から、今回の件を批判したいと思います。あの作品において、圭とみーくんの関係は大変に重く、それだけに軽々しく扱えるテーマではありません。みーくんがどのような思いで彼女との「再会」を向かえ、前を向いて歩く決意をしたか。それを原作読者なら、いたいほどよく知っているはずです。みーくんは圭の死を受け入れ、それでも未来に向かって前向きに歩むことを決めたんです。簡単なことではないと思います。それでも彼女は前を向いたんです。みーくんのただならぬ強い思いを感じずにはいられません。
それなのに、きらファンに圭を参戦させてしまった。するとどうなるか。みーくんがエトワリアで、「生きている」圭と再会する可能性を産んでしまうのです。みーくんの思いを、原作の世界を、ぶち壊しかねません。原作を読み、あのシーンを読んだ者ならば、そんなことされて嬉しいはずがありません。これは、みーくんやぐらし原作に対する冒涜です。

次に、きらファンの側面から批判します。クリエメイトの召喚は、ひとえに召喚士の存在に委ねられています。つまり、召喚士の一存で、エトワリアへの召喚が決定されてしまいます。それだけに、その判断は非常に重く、写し身とはいえ召喚するクリエメイトを尊重したものでなければいけません(今までの僕にはこの考え方が不足していました)。それなのに、前述のような背景を持つ圭を参戦させるとは、どういうことなのだろうか。もしかすると、みーくんと圭を再会させてあげたいという思いがあったのかもしれません。しかし、彼女たちは原作で「再会」しています。「聖典をこよなく愛」するランプがいるにも関わらず、そのことを知らなかったのでしょうか。クリエメイトへの愛が足りない召喚だと言わざるを得ず、これこそフォロワーさんが召喚を批判する最大のポイントでしょう。今回の件で、よくわかりました。


さて、ここまでお読みになってくださった方で、こんな感想をお持ちの方もいることでしょう。
「いや、めぐねえ参戦してるやん」
ごもっともです。めぐねえは圭と同じく感染者ながら、きらファンの初期メンバーとして参戦しています。これはぐらしへの冒涜ではないのか。そう思われる方もいるでしょう。ここからは私見ですが、めぐねえと圭では、本質的に大きく異なるものがあるのです。

エトワリアに参戦しているめぐねえは、僕は、由紀が現実を受け入れられず生み出した「めぐねえ」であり、佐倉慈教諭本人ではないと考えています。そもそも原作において、めぐねえが佐倉慈として登場した場面はそれほど多くはなく、むしろ由紀の心の拠り所としての「めぐねえ」としての登場の方が多いです。作品への登場頻度が、召喚に影響するかは定かではないですが、追加参戦がメインキャラから順番になされていくことを考えると、おそらく少なからず関係はしているでしょう。だからこそ、僕はエトワリアのめぐねえが本人ではなく、由紀の心を支える「めぐねえ」だと考えるのです。
それに対し、圭はみーくんの生身の親友です。原作中で、圭は生身での登場しかしていません(みーくんの脳内でイメージとしての登場はある)。つまり、エトワリアに呼ばれる圭は、生身の圭である可能性が極めて高いのです。エトワリアでもしみーくんと再会するとなれば、それはみーくんの心が産んだ幻想でもなんでもなく、本人との対峙になります。これが、圭とめぐねえが本質的に異なると考える所以です。


「いや、再会するとは限らない」
このような意見もあるでしょう。しかし考えてみてください。あの広いエトワリアの中で、クリエメイトのほとんどは「里」と呼ばれる小さな空間でまとまって生活しています。たとえシナリオとして目に見える形での再会はないとしても、いずれ彼女たちは出会います。圭はみーくんとの再会を望んでエトワリアに来ているような節もありましたから、余計にそう考えざるを得ません。また、もし我々が圭を召喚し、みーくんと同じ編成でクエストに出撃させるということは、それすなわち彼女たちの再会そのものです。つまり、彼女たちが出会わないこと自体不自然で、いずれはどこかで出会うと考えるのが自然なのです。


さらに昨日、ツイッターのタイムラインを見ている中で驚くべき意見を拝見しました。
「圭が死んでいるとは限らない」
という意見です。これについては、僕は真っ向から否定したいと思います。というのも、原作3巻100ページで由紀がみーくんに言っている言葉を読み返してほしいのですが、
「みんな学校大好きなんだから、きっとその子もまた来るよ」
と言っています。これは、後にみーくんと圭が学校で再会することの伏線であると思われ、12巻のあの場面でみーくんが出会った「かれら」は、圭であると考えるのが自然だと思います。また、3年後のみーくんの姿は、生前の圭の姿を完全に真似ています。これは、彼女の死を受け入れ、彼女と共に歩んでいくというみーくんの強い決意の表れであり、これで「実は圭は死んでないよ」なんて展開が起こるのはあまりにも残酷だとは思いませんか。ツイッターで、細かな作画の違いを元に「圭生存説」を唱えてらっしゃる方が見受けられましたが、僕としては、細かな作画よりもこうした作中の表現をもってして、圭は死亡していると考えるのが自然なのではないかと考えます。

他に、どのような反対意見が考えられるでしょうか。
「原作の購入特典で既に再会してるぞ」
という意見があるかもしれません。これについては、そもそも原作特典のイラストの多くが、描かれた当時の作品そのものの置かれる環境であるとか、特典を求めるファンだとかを前提に描かれており、原作とは切り離された「if」の世界であると考えるべきです。その点できらファンは「if」ではないのか、と思われる方もいるかもしれませんが、きらファンは原作の流れを組みながら、そこから分岐する形でクリエメイトを召喚しているので、完全なifだとは言えないでしょう。

以上をもって、僕は今回の圭参戦に反対をしています。僕個人としては、圭の参戦は望んでいませんでした。それよりも、おたよりからみーくんを参戦させてほしいとアンケートでも書いていました。圭の参戦という何気ない出来事が、ぐらしの世界をいかに破壊しかねないか。それを考えると、好意的に受け止めることはできないのです。
ただ、1つだけ、わずかな望みがあります。キャラシナリオです。キャラシナリオで、圭がどのような経緯でエトワリアに召喚され、どのように扱われるかが説明されれば、僕のこれらの批判がいくらか成立しなくなるかもしれません。ぜひ、そうあってほしいものですが実際はどうでしょうか…

まだ、圭を引くべきか否か悩んでいます。圭のことは好きですし、皆さんのようにみーくんと再会させてあげたいという思いもないわけではありません。原作を読んでいるときも、彼女たちの生きた状態での再会を望んでいた時期もありました。キャラシナリオも読みたいです。しかし、やはり躊躇いがあります。圭を引くことで、みーくんを傷つけることにはならないか。ぐらしの世界を否定してしまいはしないか。そういう考えが頭をよぎります。


いずれにせよ、今回の圭参戦は、あまりに衝撃的でした。そして、ショックでした。きらファンを、召喚を、好きでいられなくなるかもしれないと思ってしまいます。今なら、フォロワーさんの意見に心から賛同できます。きらファン運営にはぜひとも、作品やキャラへのビスケット…もといリスペクトを忘れないでいただきたいと強く願います。

わかり合うことなんてできないよ

私は、自己と他人はわかり合えないものだと考えている派閥である。最初に言っておくが、オタクの戯れ言である。

当たり前だと思う。数千万年に及ぶ人類の歴史のなかで、我々はそれぞれの背景でそれぞれの価値観を構築してきた。いわゆる「多様性」である。それは、文化的なものや精神的なものなど様々な活動に影響をもたらしていて、いわば自己の根幹である。それを同じくしない存在から、突然わかってもらうことなんて無謀であるし、そんな彼らのことをわかろうとするのもまた同じである。我々は、決してわかり合うことなどできないのだ。

では、「共存」は不可能なのだろうか。そんなことはないと思う。これは、共存のために必要な考え方が重要になってくる。先に述べた通り、人はわかり合えない。しかし、相手に理解を示さずとも、触らないことはできる。触らぬ神に祟りなしというやつだ。わからないからといって攻撃する、排除するというスタンスこそ、多様性への冒涜であり共存の道を閉ざすことに繋がる。我々は、「多様性」という言葉を盾にして己のマイノリティー的価値観を正当化しがちであるが、それはお門違いだと私は思う。多様性とは、自己の正当化のための言葉ではなく、他者への寛容のための言葉である。いろんな人がいるから、私の考えを尊重しろではない。いろんな人がいるから、そんな考えの人もいるよねである。決して、他者に対して暴力的になってはいけない。生命は異質を好まないので、排除という行為は極めて本能的なものだと思う。私自身、異質な存在には違和感を覚えるし、受け入れがたいとおもうことだってある。しかし、だからといってそれを頭ごなしに否定し、攻撃するようでは、野蛮だと言わざるを得ない。共存とは、わかり合うことではなく、否定しないことである。

さて、ここまで読んできて薄々お気づきだろうが、例の件に触れようとしているのである。センシティブな話題なので迂闊なことは言えないとわかりながらも、自分の考えを示すことは重要だと考えているので、ここに綴ることにした。

人が何を好むかという価値観の話題を扱うとき、その人の背景を無視することはできない。ある人の価値観とは、その人の人生やその人自身である。それぞれの生まれや育ち、周りの環境などの外部要因によって左右されることが多いと思う。70億人以上もいる人類のうち、自分と全く同じ道筋で育ってきた人なんていない。そもそも親が違うのだから、全く同じにはなり得ない。だから、我々はわかり合うことなんてできないのだ。しかし、かといって他者の価値観とは否定されていいものだろうか。価値観とは人生、その人自身だという見解を示したが、だとすると価値観の否定はその人自身の否定に繋がる。それまで歩んできた道のりを、人生を、根底から否定してしまうことに繋がる。大変危険なことだと思う。我々は、自分と違う考えを無視することができる。そういう考えもあるかと軽く受け流すことだってできる。例え相手が噛みついてきたとしても、わざわざそのジャブを受けに行くことはない。触らなければいいのだ。ましてや自分から覗きに行って攻め立てるなど言語道断だ。無視というと聞こえは悪いが、決してそれは存在の否定ではない。考え方に理解を示しつつも、それに言及しないということである。今回の一件には、攻撃性というものを感じたので綴った次第である。

とはいえ、私はこう思うが中には「違うものは排除だ!」という考えの人もいるだろう。私はそんな考えの人にも一定の理解を示す。ここまでずっとそういう話をしていたのだから。だから攻撃しないでね。

えがのびないよぉ

絵が伸びない。

よく言いますね?「反応を気にしすぎるのは良くない」「反応のために絵を描いてるのか」って。確かに、確かに一理ありますよ。


…なんて言うとでも思ったか馬鹿野郎。そりゃあな、こっちだって「絵を描きたい」から描いてるし、「僕が見たい」から描いてるよ。でもな、それをお披露目してるっていうことは、皆に見てもらいたいって思ってやってるんだよ。その絵が見てもらえないってのはな、悲しいよ。きっついよ。絵描きならわかるだろこの気持ち?そんな中で僕の絵を見てくれたり、漫画を読んでくれたりしてくれる方々は神様ですありがとうございます一生ついていきます。

とはいえ、僕もバカではありません。いや、バカですが。何で僕の絵が伸びないのか、僕なりに考えて今後に活かしたいと思います。僕が思いついた限り、僕の絵が伸びない理由はこの3つです。

・僕の絵に、多くを惹き付ける魅力がない!

・僕に、拡散力がない!

・「見てもらう」ための絵ではなく「自分が見る」ための絵ばっかり描いてる!

…きっつ。しんど。己の駄目なところ列挙するの辛すぎてワロタ()。でも、僕の成長のためです、一つ一つ消化していきましょう。

まず一つ目、これは間違いない。僕もまだまだ駆け出しの絵描きで、クオリティも技術も全然ダメだから、誰もが「この絵可愛い!すごい!」って思えるような絵には届かない。とはいえ、これでも2年くらい絵をツイッターに上げてる身だ。2年前と比べたらクオリティも技術も上がってるはずだし、単純にこれが原因なら少なくとも2年前よりは伸びてるはずだ。…伸びてねぇ。2年前と大差ないし、それどころか2年前の方が伸びてたりする。なんでやねん、絵下手になってるか?
次に二つ目、拡散力!これも明らか!見かけ上僕には400人以上のフォロワーさんがいますし、僕よりフォロワーが少ない方の絵でもすごく伸びてますから、400フォロワーは充分すぎる数です。でも、ですよ。このうち何人が僕の絵を見てくれてるかというとですよ?わかりますよ、普段の絵の反応を見てたら。一握りです。絵描き目兎龍のフォロワーは数十フォロワーなんですよ。駆け出しツイッタラーかよ。しかしこれも、先に述べた2年前から比べたら圧倒的に増えてるのに、何でか伸びない。

これらを鑑みるに、上記2つは僕の絵が伸びない本質的な理由ではないと思われる。というか、そうであってくれ。となると、僕の絵が伸びない本当の理由は、3つ目にあるのではないか。そこで冷静に、最近の絵を見てみよう。

オリキャラオリキャラオリキャラ真魚真魚オリキャラオリキャラ真魚オリキャラオリキャラオリキャラ!ステま!オリキャラオリキャラ!…

…俺得でしかない。

こんな状況で、「伸びねぇ!」とか言って騒いでるのがバカらしいくらいに、自分のための絵しか描いてない。言葉は悪いけど、伸ばすためなら「ご◯◯◯」とか「◯ん◯◯」の絵を描いてりゃいいんですよ。皆が求めてるから。でも、俺が求めてない絵を描いて楽しいのか!そんなわけないやろ!そもそも皆が求めてるジャンルの絵は、俺が描かなくてもすてくな絵が溢れてる!!伸ばすためだけに、俺がそんな絵を描いても仕方ないだろ!!

というわけで、僕の絵が伸びないのは、僕があまりに自分のために絵を描きすぎてるからだってことがわかりました。でも、それでも、そんな自己中心的絵描きの絵でも、見てくれる人がいるのは事実です。本当にありがとうございます。マジで感謝してます。見てくれる人が0人になるその時まで、僕は自分のために絵を描いていきます。いつか俺の見たい絵を描いてるだけで無限に絵が伸びるようになりたいなぁ♪ならなくちゃ♪絶対なってーやるー♪

いちじそうさく

去年の7月、一次創作を始めた。最近のことのように思うが、もう9ヶ月くらい前のことらしい。年を取るわけだ。

ことあるごとに言っていることだが、いざ寝ようと布団に入り目を瞑った時にインスピレーションが湧き、とりあえず形にして置こうと描いたもの。何気ない日常を送る2人の女子高生の4コマ漫画。何も目新しさのないシンプルなこの漫画の唯一の特徴が、「登場する生物の名前が全て学名」ということだ。

それがこの漫画
https://twitter.com/Metronsapiens/status/1150399172622733312?s=19



リンネのおぼしめし。

我ながら洒落たタイトルを付けたものだと自分を褒めることもある。学名による命名(いわゆる二名法)を考案した生物学者カール・フォン・リンネの存在の大きさ。学名という存在から与えられる堅苦しい印象。でも可愛い女の子がただ毎日を送るだけのゆるーい漫画だとわかる仮名だけのタイトル。これ以上いいタイトルをつけられる人はいないだろう。

「うちのこ」とは言い得て妙で、たった一晩の思いつきで生まれた彼女たちはまさに娘のような感覚だ。何事も長続きしない僕にしては長く続いているのも、彼女たちが愛おしいからだ。せいめいがないのが悔やまれる(これは生命と姓名をかけた美しく天才的なギャグ)。

それまで二次創作しかしてこなかったオタクが、深夜のテンションで生み出したオリジナルストーリーを世に放つのは大変な勇気と精神崩壊が必要で、パワーのいる所業だ。しかし、一度世に放ってしまえばあとはもう何でもない。そうして「リンネのおぼしめし。」は今日まで20本近く描き続けられ、新キャラも登場し、挙げ句の果てに全く違う新しい一次創作「明日から明日香」をboothで販売しだすまでに僕はおかしくなってしまった。あの夜、僕のオタクライフが一変したのだ。彼女たちが僕の人生において大きな存在であることに間違いない。
https://kitagawaapart.booth.pm/items/1807407


だが、やはり二次創作の方が見てもらえるのは確かだ。有名作品の絵やマンガを描く方が、ツイッターピクシブでの反応は多い。落書きのような絵でも、本気で描いた一次創作より伸びることは日常茶飯事だ。反応の多さが全てではないし、それをベースに己を評価し始めたら終わりだとわかってはいても、やはり反応数は気にしてしまう。1からファンを作るということがどれだけ難しいことか、改めて実感する。

それでも僕は、一次創作が楽しいし、一次創作の方が続けたいと思える。どれだけ反応が少なくても、ゼロではない。本当にありがたいことに、僕が生み出した彼女たちを愛してくれる方がいらっしゃる。僕の漫画に、お金を払ってくださる方がいる。ファンアートを描いてくださる方までいて、僕は本当に周りに恵まれているなと思う。いつも本当に、ありがとうございます。

これからも、皆様が彼女たちを愛してくださる限り、僕が彼女たちを愛する限り、僕の命が続く限り、一次創作は続けるつもりだ。その影で消えていった二次創作シリーズもある。描いていて楽しかったのは事実だが、いま僕がやりたいのは、ゼロからの創造なのだ。僕しか知らない新しい世界を、形にすることなのだ。気まぐれで、飽き性で、めんどくさがり屋の僕ですが、これからもよろしくお願いします。なんだこのブログ。

最後に、ひっそりと消えていった二次創作シリーズ2本を載せておきます。

「たまちゃん水族館」 https://twitter.com/i/events/1083701533206663168

「クリエメイト闇堕ち計画」 https://twitter.com/i/events/1113287066593386496