目兎龍日記

徒然なるままにオタクが硯に向かひて書くブログです。

きらファン圭参戦に思うこと

最初にお断りしておきますが、僕は「がっこうぐらし!」(以下、ぐらし)も祠堂圭も大好きです。ぐらしファンの皆さんが彼女の参戦を喜ぶ気持ちを最大限尊重しています。そのうえで、言いたいことがあるってだけです。そして、「きららファンタジア」(以下、きらファン)をちょっぴり嫌いになりそうってだけです。


とあるフォロワーさんが常々「きらファンの召喚システムはひどい」(大意)との考えをツイッターで発信され続けています。僕としては、そういう考え方もあるかーくらいで深く考えてはいなかったのですが、その態度を反省しなければなりません。
きらファンに、ぐらしから圭が参戦することが決定しました。タイムラインは歓喜の渦に包まれ、多くがその参戦を待ちわびていたかのようでした。そんななか僕は、参戦決定の速報を大変に受け入れがたくいたのです。その理由を、以下に書いていこうと思います。ぐらしという作品を、きらファンというゲームを愛したオタクだからこそ、今回の件を黙って見過ごすわけには行きません。なお、以降ぐらしのネタバレが含まれると思いますので、ネタバレを望まない方はお戻りください。



まず、ぐらしという作品の側面から、今回の件を批判したいと思います。あの作品において、圭とみーくんの関係は大変に重く、それだけに軽々しく扱えるテーマではありません。みーくんがどのような思いで彼女との「再会」を向かえ、前を向いて歩く決意をしたか。それを原作読者なら、いたいほどよく知っているはずです。みーくんは圭の死を受け入れ、それでも未来に向かって前向きに歩むことを決めたんです。簡単なことではないと思います。それでも彼女は前を向いたんです。みーくんのただならぬ強い思いを感じずにはいられません。
それなのに、きらファンに圭を参戦させてしまった。するとどうなるか。みーくんがエトワリアで、「生きている」圭と再会する可能性を産んでしまうのです。みーくんの思いを、原作の世界を、ぶち壊しかねません。原作を読み、あのシーンを読んだ者ならば、そんなことされて嬉しいはずがありません。これは、みーくんやぐらし原作に対する冒涜です。

次に、きらファンの側面から批判します。クリエメイトの召喚は、ひとえに召喚士の存在に委ねられています。つまり、召喚士の一存で、エトワリアへの召喚が決定されてしまいます。それだけに、その判断は非常に重く、写し身とはいえ召喚するクリエメイトを尊重したものでなければいけません(今までの僕にはこの考え方が不足していました)。それなのに、前述のような背景を持つ圭を参戦させるとは、どういうことなのだろうか。もしかすると、みーくんと圭を再会させてあげたいという思いがあったのかもしれません。しかし、彼女たちは原作で「再会」しています。「聖典をこよなく愛」するランプがいるにも関わらず、そのことを知らなかったのでしょうか。クリエメイトへの愛が足りない召喚だと言わざるを得ず、これこそフォロワーさんが召喚を批判する最大のポイントでしょう。今回の件で、よくわかりました。


さて、ここまでお読みになってくださった方で、こんな感想をお持ちの方もいることでしょう。
「いや、めぐねえ参戦してるやん」
ごもっともです。めぐねえは圭と同じく感染者ながら、きらファンの初期メンバーとして参戦しています。これはぐらしへの冒涜ではないのか。そう思われる方もいるでしょう。ここからは私見ですが、めぐねえと圭では、本質的に大きく異なるものがあるのです。

エトワリアに参戦しているめぐねえは、僕は、由紀が現実を受け入れられず生み出した「めぐねえ」であり、佐倉慈教諭本人ではないと考えています。そもそも原作において、めぐねえが佐倉慈として登場した場面はそれほど多くはなく、むしろ由紀の心の拠り所としての「めぐねえ」としての登場の方が多いです。作品への登場頻度が、召喚に影響するかは定かではないですが、追加参戦がメインキャラから順番になされていくことを考えると、おそらく少なからず関係はしているでしょう。だからこそ、僕はエトワリアのめぐねえが本人ではなく、由紀の心を支える「めぐねえ」だと考えるのです。
それに対し、圭はみーくんの生身の親友です。原作中で、圭は生身での登場しかしていません(みーくんの脳内でイメージとしての登場はある)。つまり、エトワリアに呼ばれる圭は、生身の圭である可能性が極めて高いのです。エトワリアでもしみーくんと再会するとなれば、それはみーくんの心が産んだ幻想でもなんでもなく、本人との対峙になります。これが、圭とめぐねえが本質的に異なると考える所以です。


「いや、再会するとは限らない」
このような意見もあるでしょう。しかし考えてみてください。あの広いエトワリアの中で、クリエメイトのほとんどは「里」と呼ばれる小さな空間でまとまって生活しています。たとえシナリオとして目に見える形での再会はないとしても、いずれ彼女たちは出会います。圭はみーくんとの再会を望んでエトワリアに来ているような節もありましたから、余計にそう考えざるを得ません。また、もし我々が圭を召喚し、みーくんと同じ編成でクエストに出撃させるということは、それすなわち彼女たちの再会そのものです。つまり、彼女たちが出会わないこと自体不自然で、いずれはどこかで出会うと考えるのが自然なのです。


さらに昨日、ツイッターのタイムラインを見ている中で驚くべき意見を拝見しました。
「圭が死んでいるとは限らない」
という意見です。これについては、僕は真っ向から否定したいと思います。というのも、原作3巻100ページで由紀がみーくんに言っている言葉を読み返してほしいのですが、
「みんな学校大好きなんだから、きっとその子もまた来るよ」
と言っています。これは、後にみーくんと圭が学校で再会することの伏線であると思われ、12巻のあの場面でみーくんが出会った「かれら」は、圭であると考えるのが自然だと思います。また、3年後のみーくんの姿は、生前の圭の姿を完全に真似ています。これは、彼女の死を受け入れ、彼女と共に歩んでいくというみーくんの強い決意の表れであり、これで「実は圭は死んでないよ」なんて展開が起こるのはあまりにも残酷だとは思いませんか。ツイッターで、細かな作画の違いを元に「圭生存説」を唱えてらっしゃる方が見受けられましたが、僕としては、細かな作画よりもこうした作中の表現をもってして、圭は死亡していると考えるのが自然なのではないかと考えます。

他に、どのような反対意見が考えられるでしょうか。
「原作の購入特典で既に再会してるぞ」
という意見があるかもしれません。これについては、そもそも原作特典のイラストの多くが、描かれた当時の作品そのものの置かれる環境であるとか、特典を求めるファンだとかを前提に描かれており、原作とは切り離された「if」の世界であると考えるべきです。その点できらファンは「if」ではないのか、と思われる方もいるかもしれませんが、きらファンは原作の流れを組みながら、そこから分岐する形でクリエメイトを召喚しているので、完全なifだとは言えないでしょう。

以上をもって、僕は今回の圭参戦に反対をしています。僕個人としては、圭の参戦は望んでいませんでした。それよりも、おたよりからみーくんを参戦させてほしいとアンケートでも書いていました。圭の参戦という何気ない出来事が、ぐらしの世界をいかに破壊しかねないか。それを考えると、好意的に受け止めることはできないのです。
ただ、1つだけ、わずかな望みがあります。キャラシナリオです。キャラシナリオで、圭がどのような経緯でエトワリアに召喚され、どのように扱われるかが説明されれば、僕のこれらの批判がいくらか成立しなくなるかもしれません。ぜひ、そうあってほしいものですが実際はどうでしょうか…

まだ、圭を引くべきか否か悩んでいます。圭のことは好きですし、皆さんのようにみーくんと再会させてあげたいという思いもないわけではありません。原作を読んでいるときも、彼女たちの生きた状態での再会を望んでいた時期もありました。キャラシナリオも読みたいです。しかし、やはり躊躇いがあります。圭を引くことで、みーくんを傷つけることにはならないか。ぐらしの世界を否定してしまいはしないか。そういう考えが頭をよぎります。


いずれにせよ、今回の圭参戦は、あまりに衝撃的でした。そして、ショックでした。きらファンを、召喚を、好きでいられなくなるかもしれないと思ってしまいます。今なら、フォロワーさんの意見に心から賛同できます。きらファン運営にはぜひとも、作品やキャラへのビスケット…もといリスペクトを忘れないでいただきたいと強く願います。