目兎龍日記

徒然なるままにオタクが硯に向かひて書くブログです。

目兎龍の明日香散歩(高松塚・甘樫丘・石舞台編)

こんにちは

明日香村に取りつかれたオタク、目兎龍です。

 

 昨今の情勢や個人的な事情により、なかなか訪れることができませんでしたが、この度思い切って久しぶりの明日香村に行ってきました。

 事前に、「久しぶりだし、全力で巡ってやろう」と思い旅をはじめましたので、結果飛鳥のほとんどの場所をめぐることができました。今回は、旅日記兼飛鳥の観光プランの提案として、このブログを読んでいただけたらと思います。

激長のブログになると思いますが、最後までお付き合いください。

 

 

旅を始める前に

 明日香村は、決して大きな村ではありませんが、見所盛りだくさんの村なので一日で回りきるのは不可能です。そこで、旅に出る前に「ここだけは確実に訪れたい」という場所を決めておきましょう。ちなみに今回僕は、「飛鳥にある石をできるだけ見よう」というテーマで行程を組みました。

 次に、移動手段を決めておきましょう。現地についてから、移動手段に悩むのは時間がもったいない。飛鳥観光の主な移動手段として挙げられるのが、レンタサイクルバス小型電気自動車(MICHIMO)です。明日香村は狭い道も多いので、自家用車で回るのが困難な道や自動車進入禁止(歩行者自転車用道路)の道もあります。そのため、小回りが利くレンタサイクルがおすすめです。一日900円で借りることができ、営業所も多いため借りやすいです。また、MICHIMOを使いたいという際は事前に予約が必要なので注意しましょう。ちなみに今回僕は徒歩で回ることにしました。個人的に最もおすすめの回り方ですが、それなりに体力を要することをお伝えしておきます。

f:id:metronblog:20200906124753j:plain

これがMICHIMOです。非常に可愛らしい、二人乗りの電気自動車で、3時間3000円から利用できます。

 最後に、飛鳥についたらまず確保したいものを紹介します。

f:id:metronblog:20200906125350j:plain

「飛鳥王国パスポート」です。

一冊100円で、飛鳥観光のモデルコースやそれぞれの概説、さらにお得なクーポンがついています。クーポンを使えば簡単に100円の元は取れてしまううえ、情報盛りだくさんなので必ず手に入れておきたいアイテムです。

近鉄飛鳥駅前「飛鳥びとの館」などで購入することができます。

飛鳥駅から猿石へ

それでは、いよいよ旅を始めましょう。まず目指す場所は、吉備姫王墓(猿石)です。

f:id:metronblog:20200906130350p:plain

グーグルマップより

このように歩き進めていきます(雑でごめんなさい)。

f:id:metronblog:20200906130511j:plain

飛鳥駅の駅舎は、こじんまりとしているものの和風な外観で飛鳥の景色になじんでいます。

f:id:metronblog:20200906130617j:plain

先ほど述べた飛鳥びとの館は、飛鳥王国パスポートの他に観光用の地図やパンフレットも置いてあるのでまず立ち寄るのがいいと思います。今回はスルー。

駅を出て、交差点を左に進んでいくと、

f:id:metronblog:20200906130853j:plain

一つ目の信号「下平田」交差点に当たります。ここを右折。

f:id:metronblog:20200906131002j:plain

中に入ると一気に農村風景に様変わり。いい天気だったこともあり、とても清々しいです。明日香村のあちこちに、観光地への向きや距離を示す看板が立っており、猿石も例外ではありません。看板通りに左折して進みます。

f:id:metronblog:20200906131233j:plain

猿石と書かれた看板が立っています。第一の目的地「猿石」に到着です。

 

猿石は、吉備姫王墓の中に四体置いてあります。「吉備姫王とは誰だ」という方は、僕が以前描いた「明日から明日香あす散歩」を読んでいただけると幸いです( https://twitter.com/i/events/1242683143720599552 )。簡単に言うと、飛鳥時代の重要人物を産んだスーパーお母さん。

 

f:id:metronblog:20200906131610j:plain

f:id:metronblog:20200906131637j:plain

こちらが猿石。一枚目左から順番に「女・山王権現・僧・男」と名前がついています。古代日本で行われた芸能伎楽をモチーフにしているのではないかと考えられており、飛鳥の西の玄関口にモニュメントとして飾られていたそうです。どこか憎めない表情をしており、初めて見た時から虜になっています。今回も相変わらず愛嬌があって可愛かった。

欽明天皇陵から鬼の俎・雪隠へ

さて、吉備姫王墓と猿石を離れ、次の目的地「鬼の俎・雪隠」へ向かいます。

f:id:metronblog:20200906133219p:plain

グーグルマップより

吉備姫王墓の側には、飛鳥唯一の前方後円墳欽明天皇」があります。欽明天皇は、百済聖明王から我が国に正式に仏教が伝えられた(いわゆる仏教公伝)時の天皇で、彼が蘇我稲目に仏を信じてみよと進めたことで、わが国で仏教信仰が始まりました。欽明天皇がいなければ、今の飛鳥の風景はなかったかもしれません。

f:id:metronblog:20200906133307j:plain

そんな彼を偲びながら、彼が眠る陵の脇の細い道を進みます。

 

ちなみに、無粋なことを言うならば実は欽明天皇陵はここではなくお隣橿原市にあるという説もあります。

 

f:id:metronblog:20200906133549j:plain

 美しい夏の飛鳥の景色を楽しみながら、のんびりと観光する。徒歩で回るからこその楽しみ方です。景色が流れるのではなく、景色と一体となる感覚を味わえて、大変幸せです。

f:id:metronblog:20200906133806j:plain

f:id:metronblog:20200906133831j:plain

 到着しました、鬼の俎・雪隠です。

 元々はどちらも古墳の石室を構成する石だったそうで、雪隠の方が今の場所に転げ落ちたのだとか。この周辺は霧ケ峰と呼ばれ、鬼が霧を作り迷った人間を捕らえ、俎で調理し雪隠で用を足したという伝説が残っています。そんな伝説ができるほど前に崩れたのか、なぜ直さなかったのかと疑問に思います。もしかしたら、伝説にすることで観光客を呼び込もうとする当時の飛鳥人の商売魂の賜物でしょうか。余計なことを考えると鬼に捕まるかもしれないので、次の目的地に進みます。

天武・持統天皇陵から亀石へ

f:id:metronblog:20200906135242p:plain

グーグルマップより

 天武天皇持統天皇の名前は、日本史を勉強した人なら聞いたことがあると思います。壬申の乱に勝利して即位した天智天皇の弟大海人皇子天武天皇と、藤原京造営を行って律令国家への歩みを進めた持統天皇。そんな彼らが眠る陵は、欽明天皇のものと比べるとずいぶんと控えめです。当時の世界観を反映させた、八角形の石室を持つ古墳です。八角形の意味は、各自お調べになってください。当時「天皇」がどのような存在だったかがよくわかります。そんな彼らの陵を過ぎ、県道209号線に沿って亀石に向かいます。

f:id:metronblog:20200906140022j:plain

f:id:metronblog:20200906140058j:plain

 県道209号線は、飛鳥駅から高松塚、甘樫丘、雷へとつながる飛鳥の重要な道路です。初めての飛鳥観光は、とりあえずこの209号線に沿って進むだけでも十分楽しめると思います。「野口」交差点の一本手前を中に折れると、亀石があります。

f:id:metronblog:20200906140352j:plain

 亀にもカエルにも見えるとても愛らしい表情をしたこの石は、いつ何のために作られたのかがわからない謎の石です。伝説では、このカメが西の方角を向くとき、飛鳥の地は泥の海に沈むといわれています。そんな一大事の引き金になるとはとても思えない、可愛い顔です。思わず頭を撫でたくなりますね。ちなみに今は西南を向いています。

f:id:metronblog:20200906140737j:plain

 明日香村には至る所に無人販売のための建物がありますが、亀石の側にも結構大掛かりな無人販売所がありました。亀石のお土産もあるらしいですが、今回は売り切れ。というより、置いてなかったかもしれません。なんせ午前中でしたから。こうした無人販売施設は明日香村なら割と普通に見ることができ、飛鳥を象徴する景色といえるかもしれません。

甘樫丘ハイキング

f:id:metronblog:20200906141457p:plain

 さて、当初計画していたルートではありませんが、思っていたよりも早く行程が進んでいたため急遽予定を変更し、甘樫丘に登ることにしました。

 甘樫丘は、大和三山や明日香村を見晴らすことができる小高い丘で、かつては権力者蘇我蝦夷が邸宅を構えていました。周囲を見晴らすことができるこの丘は、権力者が住むにはふさわしい場所だったはずです。しかし、そんな蘇我一族も、大化改新により衰退することになりますが、それはまた後程。

f:id:metronblog:20200906141935j:plain

 今回は、川原の方から登り、川原展望台を経由し甘樫丘展望台へ向かうことにします。ここまでの道のりで汗だくになっていたせいか、大量の虫の洗礼を受けながらのハイキングになりました。目や耳の周りを虫がまいまいしながらのハイキングは、清々しさとは程遠いものとなってしまったのが残念です。虫よけは必須ですね。

 さて、虫と一緒に経由地の川原展望台に到着しました。

f:id:metronblog:20200906142315j:plain

f:id:metronblog:20200906142341j:plain

 川原展望台からは、明日香村ではなくお隣の橿原市方面が見渡すことができます。右の奥の方に写っているのが、大和三山の一つ「畝傍山」だと思います。いい天気で大変見晴らしもよく、虫さえいなければいつまでも見ていたい景色です。

 ちなみに川原側のふもとでは、春には菜の花畑を楽しむことができます。飛鳥はどの季節も、美しい風景を楽しむことができるので何度行っても飽きることはありません。

f:id:metronblog:20200412135547j:plain

 川原展望台を後にして、甘樫丘展望台を目指します。ここでも虫がたくさん挨拶に来てくれました。もうお腹いっぱいです。

f:id:metronblog:20200906142929j:plain

f:id:metronblog:20200906142959j:plain

 到着、甘樫丘展望台です。一枚目は明日香村の風景、二枚目は大和三山を望む風景です。大和三山は左から順に「畝傍山」「耳成山」「天の香久山」だったはずです。いずれも古来より、大和を代表する山とされてきました。今はのどかな田園風景を湛える明日香村ですが、蘇我蝦夷がここから見ていた景色はきっと大きく違ったはずです。権力への欲望が渦巻き、血で血を洗う陰惨な景色が見えていたことでしょう。かつてこの地に人食いの狼が住んでいたことから、「大口の真神原」と呼んだそうですが、当時の飛鳥の状況を映し出しているように思えてなりません。甘樫丘から明日香を眺めていると、当時の景色がどのようなものであったかついつい考えてしまいます。

水落遺跡、明日香村埋蔵文化財展示室

 甘樫丘を下り、次の目的地は水落遺跡です。

f:id:metronblog:20200906144406p:plain

 下り方がわからず遠回りルートになってますが、お気になさらず。

f:id:metronblog:20200906144531j:plain

 ふもとから、甘樫丘と飛鳥川を眺めます。飛鳥という地名は、「安宿(アンスク)」という古朝鮮語が由来という説と、「ア+洲処(スカ)」を由来とする説があるそうですが、飛鳥川を眺めていると後者の説を信じたくなります。飛鳥の地には他にも複数の川が流れているので、きっとこの地は洲として出来上がったのだろうと思えます。また、「飛ぶ鳥」と書いて飛鳥と呼ぶのも、飛鳥川から飛び立つ水鳥が「明日香」の枕詞になったからだといわれており、飛鳥にとって川の水が重要であることがうかがえます。

 飛鳥川を眺めながら、地図通りに水落遺跡へと進みます。

f:id:metronblog:20200906145607j:plain

 いい雰囲気の住宅街。特になんてこともないですがつい写真に撮ってしまいました。この写真の交差点を左折すると、水落遺跡に到着します。

f:id:metronblog:20200906145729j:plain

 水落遺跡は、日本で初めて作られた漏刻(水時計)の跡とされており、中大兄皇子によって作られました。古代日本において、朝廷が人だけではなく時間も支配し始めた瞬間でした。ちなみにこれは今回初めて知ったのですが、次に触れる埋蔵文化財展示室の係の方によれば、現在「時の記念日」とされている日は水落遺跡に時計ができた日ではなく、近江の大津に時計ができた日になっているようです。水落遺跡の時計ができた日付けが不明確だからだそうですが、飛鳥の売りが一つ取られたと残念がるあの方の表情が忘れられません。飛鳥の人は郷土愛が深いようです。

 さて、それでは明日香村埋蔵文化財展示室に向かいましょう。この施設、驚くべきことになんと無料で入れます。

f:id:metronblog:20200906150719j:plain

 しかも館内は撮影自由、おまけに展示はかなり充実していて、大変すばらしい施設でした。さらに客が僕だけだったからか、係の方が展示の解説までしてくださり、大変ありがたかったです。展示内容の一部を紹介します。

f:id:metronblog:20200906151020j:plain

 展示は飛鳥の様々な遺跡から発掘されたものが見られますが、係の方の一押しは牽牛子塚古墳の発掘品らしく、今回行くことができないこともありその埋蔵品を中心に見学しました。写真は、牽子牛塚古墳の石室の内扉です。

 牽牛子塚古墳の被葬者は、斉明天皇とその妹の間人皇女であると考えられており、日本書紀の記述に一致するように娘の古墳が近くから発見されたのを見ても間違いないとのことです。発掘された装飾品も女性らしい装飾品が多いようです。

f:id:metronblog:20200906151902j:plain

f:id:metronblog:20200906151945j:plain

 下の写真にある夾紵棺は、これ一枚で飛鳥のマンションなら余裕で買えてしまう価値があるそうです(飛鳥にマンションがあるかは別ですが)。そんなものを無料で見られていいのだろうかと不安になってしまいます。

 係の方は大変親切にしてくださり、解説や旅の安全祈願までされてしまいました。ありがとうございました。皆さんも飛鳥に来たら是非訪ねてみてください。決して損はありません。

展示室から蘇我入鹿首塚飛鳥寺

f:id:metronblog:20200906152823p:plain

 展示室の隣にある、あすか夢の楽市では、飛鳥でとれた農産物やお土産品などを買うことができます。今回はスルー。

f:id:metronblog:20200906153217j:plain

 車が通れない狭い道を歩きながら、蘇我入鹿首塚飛鳥寺を目指します。飛鳥寺周辺は自動車進入不可の道や一方通行の道が多く、車で訪れる際は注意が必要です。

f:id:metronblog:20200906153255j:plain

 こういう狭い道って、なぜだかとっても楽しいですよね。この先はどうなっているのだろうと、好奇心が掻き立てられます。まあ今回は先の景色もよく知ってはいるのですが。

f:id:metronblog:20200906153609j:plain

 蘇我入鹿については、日本史を勉強していない人でも名前くらいは聞いたことはあると思います。大化改新中大兄皇子中臣鎌足に討たれた、蘇我氏の本家最後の人間です。学校で習う歴史では蘇我氏は横暴で権力を持ったわがまま放題の連中という悪人的な印象が強いですが、彼らがいなければ日本で仏教信仰は広がっていなかったでしょうし、天皇中心の政治という古代の政治システムもできなかったでしょう。この首塚を見ていると、複雑な気持ちになります。大化改新ではねられた入鹿の首がここまで飛んできたとか、首だけになってなお襲ってきた入鹿を鎮めるために立てられたと言われています。やはり悪人(というより悪霊)ですね。

 首塚の隣にあるお寺が、飛鳥寺(安居院)です。現在は決して大きなお寺ではありませんが、飛鳥時代に建立された当初は、五重塔に三つのお堂をもつ大寺院だったことがわかっています。それもそのはず、このお寺は蘇我馬子が権力の象徴として建立したお寺だからです。

f:id:metronblog:20200906154651j:plain

f:id:metronblog:20200906154718j:plain

 かつての中金堂にあたる本堂の中に、「飛鳥大仏」として有名な釈迦如来像がおられます。ほかの仏さまは奈良の大仏のように、先に仏像を作ってから周りを囲うようにお堂を作るのが一般的ですが、飛鳥大仏は先にお堂を立ててから、鞍作鳥によって作られた仏像を入れたそうです。重さは15トンに及び、建立当時は全身金色で青い目をしていたと考えられています。お顔立ちも相まって、異国情緒漂う仏様だったことでしょう。また、お寺の方のお話によれば、通説では建立当初のまま残っている部分はほとんどないとされていますが、4~5年前の調査の結果、かなりの部分が建立当初のまま残っているということが分かったそうです。今回の旅では、初めて知ることが多く、以前訪れた場所でも新たな発見があって楽しいです。

飛鳥寺から酒船石遺跡へ

f:id:metronblog:20200906155913p:plain

 さて、皆さんの記憶のはるかかなただと思いますが、今回の旅のテーマは「飛鳥の石をめぐる」でした。次の目的地は、研究者はもちろんのこと飛鳥中をにぎわせた石です。

亀形石造物

f:id:metronblog:20200906162910j:plain

 こちらの石です。何に見えますか?

 左の円い石が「亀型石造物」、その隣にあるのが「小判型石造物」と呼ばれている石で、その奥には井戸があります。ここでも、観光案内の方が丁寧に解説してくださったので、その話を中心にご紹介します。

 二つの石造物はいずれも2000年の発掘調査で見つかり、その後に井戸が見つかったそうです。この発見がなぜ世間で話題になったのかというと、亀や小判の石と、井戸の石の材質が異なっていたからだそうです。亀や小判に使われる石は、いずれも飛鳥で取れる石だそうですが、注目すべきは井戸の方。井戸に使われる石は、なんと飛鳥から離れた天理市・石上山の石だというのです。なぜ、遠く離れた天理の石が使われているのか。カギを握る人物は、斉明天皇です。

 斉明天皇は、日本書紀によれば大の土木事業好きだったそうで、飛鳥の住民はもちろん遠く広島などの住民も動員して、土木工事を実施したそうです。その工事により多くの人々が亡くなり、彼女が作った水路は狂心の渠と揶揄されました。つまり先に述べた天理産の石は、斉明天皇が土木事業好きだったという記述を裏付ける発見だったのです。この発見にはよほどの驚きと興奮があったのか、埋め戻して保存するか検討された際当時の村長が「このまま残そう」と指示したほど。

 では、この石造物は何に使われたのでしょうか。そもそも石造物が亀なのは、道教の世界観に基づくようです。のちに訪れる酒船石がある山(この山も斉明天皇が作ったそうです)を背負うように亀は存在します。道教の世界観では、亀は蓬莱山を背負ってくるとされ、この石造物の配置に似ています。そして、この亀は、古代の祭祀の際に禊を行うための場だったのではないかといわれています。井戸から流れ落ちた水は亀の甲羅にたまり、その水を使って禊を行ったというのです。古代飛鳥では、仏教が確実に広がりを見せる中、神々への祭祀も同時に行われていたのでしょう。これが今の日本に複数の宗教が混在する由縁かもしれないと、お話を聞きながら思いました。

 

  ちなみに、観光案内の方に興味深いことを教えてもらえたので、直接関係ないですがここで記しておきます。「飛鳥」と「明日香」の違いです。

  もともと明日香村は、阪合村と高市村と飛鳥村という3つの村でした。それが昭和31年に合併し、今の明日香村になったそうです。その際、「飛鳥」の字を使うと他の2村に不公平なので、「明日香」の字を使うことにしたそうです。現在では、「明日香」の表記を使うときは公的な機関によるもの、「飛鳥」の表記を使うときは通称という違いがあるようです。

  「飛鳥」という表記は古事記日本書紀に、「明日香」は万葉集に多く見られる表記なのだとか。教えていただきありがとうございました。

酒船石

 大変長くなりました。次に、亀が背負っている山を登り、酒船石を見に行きます。山を登っていると、途中に石のブロック(レプリカ)が転がっているのがわかります。

f:id:metronblog:20200906165400j:plain

 斉明天皇が山を作る際に運ばせた石でしょう。山まで作ってしまうとは、なぜそこまで土木事業に狂っていたのか理解しかねます。あ、なぜ僕が明日香にここまで狂っているのかってツッコミはなしですよ。

 頂上に着くと、不思議なみぞの入った石があります。これが酒船石です。

f:id:metronblog:20200906165529j:plain

 何のための石なのかわかっていません。濁り酒を流して清酒にするためのものだとか、松本清張の小説ではゾロアスター教と関係があるとかする説がありますが、ふもとの石造物と合わせて考えると、やはり祭祀に関係するものだと考えられます。古代飛鳥で、どのような祭事が行われていたのでしょうか。さらなる発見が期待されます。

酒船石から飛鳥宮跡へ

f:id:metronblog:20200906170520p:plain

 先ほどからたびたび登場する「大化改新」。その舞台となった場所を見に行きます。飛鳥宮と呼ばれる場所です。

f:id:metronblog:20200906170741j:plain

 歴史上、「飛鳥宮」と呼ばれる宮はありません、では、なぜこの遺跡が「飛鳥宮跡」と呼ばれるのか。それはこの場所に、複数の宮が置かれたからです。645年、中大兄皇子らにより蘇我入鹿が暗殺される舞台となった「飛鳥板蓋宮」、壬申の乱以後、律令国家への歩みを進める場所となった「飛鳥浄御原宮」など、複数の宮がこの同じ場所に作られたことがわかっています。写真に写っているのは、飛鳥浄御原宮の井戸の跡です。かつて日本を揺るがす大事件の舞台となった地に立ち、子どもが楽しそうに走り回っている様子を見ると、平和っていいなあとあらためて思います。今の飛鳥を歩いているととても想像できないくらい、当時の飛鳥は陰鬱な空気に満ちていたのかもしれません。

飛鳥宮跡から石舞台古墳

f:id:metronblog:20200906172203p:plain

 今回の飛鳥の旅では、それほど混雑というものに遭遇しませんでした。以前訪れた際はどこもそれなりに混雑していたのですが。次に行く石舞台古墳は、飛鳥を代表する観光地ですが、果たしてどうでしょうか。

f:id:metronblog:20200906172527j:plain

 飛鳥のシンボル、石舞台古墳に到着。これまで訪れたどの場所よりも混雑していますが、それでも以前訪れた時よりもずいぶん少なく感じます。感染症の影響でしょうか。ソーシャルディスタンスを保ったまま観光できるので、今の時期に飛鳥はお勧めですよ。

 石舞台古墳は、かつては他の古墳同様盛り土に覆われていた横穴式古墳でしたが、今ではその石室がむき出しになっています。その姿が石の舞台のようなので、石舞台と呼ばれています。石室に使われている石の重さは総重量2300トンもあるといわれており、どうやってこんな巨石を運んだのか不思議に思います。被葬者は不明ですが、蘇我馬子だという説が有力です。ここまで巡ってきた至る所で蘇我の名前が出てくることからも、当時の蘇我氏の権力の強さがうかがえます。

f:id:metronblog:20200906174244j:plain

 石室の内部に入ることもできます。前を歩く人と比べると、その巨大さがよくわかりますね。

石舞台古墳から橘寺へ

f:id:metronblog:20200906174834p:plain

 飛鳥時代を語るうえで、決して忘れてはいけない人がここまで出てきていません。そうです、聖徳太子です。次に訪れるのは、そんな聖徳太子が生まれた場所とされる橘寺です。

f:id:metronblog:20200906175136j:plain

 「聖徳太子御誕生所」と書かれた石碑の側の道を登ると、橘寺につきます。写真奥に見えているのが、橘寺です。今回は参拝はもちろん、境内にある不思議な石を見学します。

f:id:metronblog:20200906175505j:plain

 これがその石、二面石です。その名の通り、二つの顔を持った石であり、

f:id:metronblog:20200906175626j:plain

右側が善面、

f:id:metronblog:20200906175722j:plain

左側が悪面と呼ばれ、人間の心の二面性を表していると言われています。僕のように善面100%の人間にはよくわかりませんが、人間の裏表を一つの石で表そうという発想とその表現力には脱帽します。

橘寺には他にも、聖徳太子の愛馬「黒駒」の像も見られます。

f:id:metronblog:20200906191121j:plain

 ちなみに、聖徳太子として親しみ深い彼は、最近の教科書では「厩戸王」として教わるそうですが、僕は聖徳太子という呼び方が好きなのでこれからもそうやって呼ぼうと思います。

 橘寺の道を挟んだ向かいには、川原寺と呼ばれるお寺とその跡があります。川原寺はかつて飛鳥の四大寺と呼ばれるほどの大寺院だったそうですが、日本書紀にその名が出てくるほか記録が少なく、わからないことが多いようです。明日香村を観光する際は、こうした謎を解きながら回るのも楽しいですよ。

f:id:metronblog:20200906193229j:plain

川原寺から飛鳥歴史公園館へ

f:id:metronblog:20200906192833p:plain

 ここからは、飛鳥駅に戻りながらさらに観光を続けます。次に向かうのは「飛鳥歴史公園」です。

f:id:metronblog:20200906193321j:plain

 はじめにお伝えしておきますが、初めて飛鳥に来る方や観光プランを立てていない方は、まず最初にこの飛鳥歴史公園館に訪れるべきです。というのもこの施設は、明日香村のジオラマ模型を通して各施設の位置関係や距離感を把握できたり、明日香村の地図やパンフレットを自由に持ち帰ることができる、いわば飛鳥のチュートリアルなのです。

f:id:metronblog:20200906193723j:plain

 現在は感染対策のため使用できませんが、映像で明日香村の魅力や案内を見ることもできます。また、窓口には係の方もいるので、わからないことがあれば気軽に質問もできます。今回僕は、あまりに暑かったのでクーラーに当たりたいから訪問したのですが、飛鳥の生き物が飼育展示されていたり、写真展が行われていて楽しめました。

飛鳥歴史公園館から高松塚古墳

f:id:metronblog:20200906194957p:plain

 飛鳥歴史公園館から、高松塚古墳に行って美人を見ます。そう、高松塚古墳には美人がいるのです。

f:id:metronblog:20200906195222j:plain

小高い丘のようになっている高松塚古墳は、被葬者不明の終末期の古墳です。高松塚古墳の見所は、石室に描かれていた極彩色の壁画です。その壁画の模写や復元模写、出土品をふもとの高松塚壁画館で見ることができます。

f:id:metronblog:20200906195723j:plain

 館内は撮影禁止なので、実際に自分の目で確認してみてください。冒頭で「美人を見る」と言っていたのは、壁画として描かれていた「女子群像」のことで、俗に飛鳥美人と呼ばれています。上の写真の看板に描かれているのが、その飛鳥美人です。高松塚古墳の壁画は発見当時かなり傷んでおり、最近まで復元作業が行われていました。日本中で、壁画が描かれている古墳は高松塚古墳と、同じく明日香村にあるキトラ古墳の二か所だけです。なぜこの二か所だけ壁画が描かれているかはわかりませんが、薄葬令が出ている中少しでも自らの墓を豪華にしたいという被葬者の願いが表れているような気がします。そう思うと、発掘、復元されたことにも何か意味があるのかなと思えてきます。

高松塚古墳からあすか夢販売所へ

f:id:metronblog:20200906201219p:plain

 飛鳥観光もいよいよ終わりです。最後はお土産を見ましょう。飛鳥駅の向かいにある直売所「あすか夢販売所」でお土産を見ます。

f:id:metronblog:20200906201407j:plain

 あすか夢販売所は、最初に紹介した飛鳥びとの館と合わせて「道の駅飛鳥」を構成しています。ここでは、飛鳥でとれた農産物や、飛鳥のお土産を購入することができます。中は大勢のお客さんでにぎわい、今日訪れたどこよりも混雑していました。

f:id:metronblog:20200906202054j:plain

 大きなカボチャが並んでいました。僕はこういう風景が大好きです。ちなみに今回、僕は子供の頭くらいの大きさがあるナシを買いました。

旅の終わり―最後に―

 以上、6時間13kmに及ぶ僕の飛鳥観光の模様を超々長文でご紹介しました。もはや紀行文なのか観光案内なのかわかりませんね。今回、残念ながら祝戸地区とキトラ周辺地区を訪ねることはできませんでしたが、それでも、明日香村を大いに満喫することができました。これから、明日香村を訪ねようと思う方がいてくれるととても嬉しいですが、歩くのはとても大変です。よほど飛鳥に入れ込まない限り、レンタサイクルを利用するのが賢明だと思います。

 最後に、飛鳥を訪ねる際のポイントと思うところを列挙して終わりにしようと思います。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。よい飛鳥ライフを!

 

飛鳥を楽しむ4ヶ条

  1. 事前の計画をしっかりと練ろう
  2. 観光案内の方がいたら積極的に話を聴こう
  3. 事前勉強を軽くでもやっておこう
  4. 何度も何度も訪ねて沼にはまろう


f:id:metronblog:20200906203442j:plain

 

飛鳥旅続編「キトラ・稲渕・祝戸編」はこちらから→

 

metronblog.hatenablog.com