目兎龍の明日香散歩(キトラ・稲渕・祝戸編)
Happy birthday to me.
ということで先の12月27日、22歳の誕生日を迎えました。
22歳ですよ、いまだに気分はティーンエージャーのままですがこのままだとイタイ奴になってしまいますね。22歳の目兎龍も何卒よろしくお願い致します。
さて、誕生日を迎えたのはいいものの、まだまだ世間は感染症の危機に直面したままで、どこかへ出かけるのも憚られてしまいます。せっかくの誕生日だから、なにかはしたいんですが…
そうだ!!
飛鳥に行こう!!!
ということで、今年n回目の飛鳥旅に行ってきました。飛鳥は「密」とは無縁の地。感染対策をしながら旅をするのにはもってこいの場所です。そして何より、私目兎龍が愛してやまない土地でもあります。前回の飛鳥旅の様子はこちらから↓
写真の切符は、近鉄が販売している「古代ロマン飛鳥日帰りきっぷ」です。関西圏から明日香を訪れる人向けの商品で、指定区間乗り降り自由の乗車券のほか、飛鳥で使える割引券が二枚付いたお得な切符です。
今回はこの切符を使いました(注:単に往復するだけの場合、通常の乗車券を買う方が安くなるので気をつけてください)。
電車に揺られること1時間20分ほど🚃
やってきました、飛鳥駅!!テンションはMAX!!!!
前日までの予報では曇りだったので、気温も上がらないだろうと防寒対策をしっかりしてきたのですがどうですかこの青空。気持ちいいくらい晴れています。天も僕の誕生日をお祝いしてくれていますね、ありがたいことです。
飛鳥駅からキトラ古墳へ
早速、旅を始めましょう。前回夏の暑い中飛鳥を歩いて回り、素晴らしい飛鳥の景色をじっくり味わうことができたので、今回は
徒歩です。今回も徒歩で回ります。飛鳥は徒歩。
飛鳥駅からまっすぐ進むと、案内表示の看板があります。この看板に従い、まずはキトラ古墳を目指します。
これは今回の旅で初めて知ったのですが、この案内表示板、なんとWi-Fiに接続できます。少なくともauユーザーは、この案内表示の前ではWi-Fiを使うことができます。親切ですね。
雲一つない青空のもと、歩みを進めます。この時点で持ってきていた防寒具はすべてキャストオフ。歩いていると暑いくらいです。
進行方向左手、木々の合間から高松塚古墳が見えました。高松塚古墳は飛鳥に来る度に訪ねているので、今回はスルー。
しばらく進むと、何やら怪しい建物が見えてきます。
もう少し近づくと、
????????
まるで古代にタイムスリップしたかのような異様な竪穴式住居が二棟。そして奥には平屋の現代的な建物。脳がバグりそうな景色です。
ここは最初の経由地「檜隈寺跡前休憩案内所」です。キトラ周辺地区の案内のためのジオラマや休憩スペースがあります。竪穴式住居は謎です。
これがそのジオラマ。キトラ周辺地区を訪ねる際は、まずこの施設で情報を仕入れておくとよいと思います。トイレの位置なんかも分かりますよ。
そして、この施設のほど近くにとある神社があります。
それがこの「於美阿志(おみあし)神社」です。読めん。
於美阿志神社には、飛鳥時代に存在した渡来人の一族「東漢氏(やまとのあやうじ)」が祀られており、当時はこの地に東漢氏の氏寺「檜隈寺(ひのくまでら)」があったとされています。東漢氏といえば、蘇我馬子に仕え崇峻天皇暗殺の実行犯とされる東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)が有名ですね。このキトラ周辺地区は昔、渡来人の集落があったと考えられています。日本の文化、文明の開化を支えた渡来人たちの住んでいた地を訪ねていると思うと、不思議と背筋が伸びます。
この日は、地元の方々がお正月の準備をしていました。こういう風景を見ているとほっこりしますね。日本の尊い原風景。
於美阿志神社を後にして、キトラ古墳へと歩みを進めます。せっかくなので、ハイキングコースとされている道を歩いていきます。
た す け て。
とんでもない異空間に足を踏み入れてしまいました。何だここは。
案山子のような、でもただの人形のような怪しい人型の何かに、シカやイノシシを模した藁人形。そして奥には再び登場竪穴式住居。
いったい何のための空間で、誰がこんなものを作ったのか。不気味ですがなぜだかとっても興味をそそられます。もう少し足を踏み入れてみましょう()
やめとけばよかった。
人形の顔はどれも絶妙に不気味な表情だし、竪穴式住居にはまさかの「住人」がいるし。なにこれ怖い。
急いでここから逃げましょう。出られなくなる前に。
キトラ古墳
飛鳥が大好きといっている僕が、さっきの異空間を見てなぜあんな新鮮なリアクションをとったのか。実は恥ずかしながら、キトラ周辺地区を訪れるのは今回が初めてだったんです。初見であんなの見たら、こんなリアクションにもなりますよ。
さて、何とかあの場から逃げることができ、到着しました。
「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」です。
ここでは、キトラ古墳に関する説明や、時には発掘された壁画そのものを見ることができます(壁画見学は事前予約制)。今回は壁画の公開時期ではなかったので、館内の見学だけ。
館内は写真撮影ができます。雰囲気はこんな感じ。
天井には、キトラ古墳石室に描かれていた天文図を模した演出。
そして、石室の原寸大レプリカも見ることができます。もちろん、壁画も再現されています。
また、気になることがあれば案内の方に質問すると教えてもらえます。僕も尋ねてみました。
目「高松塚古墳もキトラ古墳も、盗掘は南側の朱雀が描かれた壁から侵入されていますが、何か理由があるのでしょうか。南側が開けていたとか?」
案内の方(以下、A)「そういうわけではない。牽牛子塚古墳もそうだが、北側から侵入しようとしてあまりに岩が巨大で頑丈だったため、南側から侵入している。南側が石室の出入り口になっているから、侵入しやすい」
目「なるほど」
A「欽明天皇の頃は、地形に合わせて古墳が作られていたが、キトラや高松塚が作られた頃は皆南を向いて作られた。宮も、飛鳥岡本宮の頃はその傾向は見られないが、板蓋宮や浄御原宮の頃は南を向いて作られている。そしてこの頃に、天文図などが伝来し南を重視するようになったのではないか。だからキトラや高松塚には天文図が描かれている」
目「当時の大陸から伝わった文化によって、南を意識するようになったんですね」
A「キトラは高松塚より20年ほど前に作られていると考えられていて、これは石室の天井部分の形でそう考えられている。高松塚の天井は平ら。そして、20年ほど古いキトラの白虎は北を向いて描かれ、四神が一続きになる様になっているが、高松塚は白虎が南を向いている。高松塚が作られた頃にはより南を向くという思想が強化されていたのでは」
目「ありがとうございました。」
僕は宗教や古代の価値観についてはまだまだ勉強中なので、南を向くことの意味はあまりわかりませんが、平安京なんかでも天皇が南を向いて右側か左側かで右京と左京が決まっていますから、古代日本において南という方角はきっと神聖なものだったのでしょう。大変勉強になりました。
そしてこの施設、なんと驚くべきことに無料で入れます。飛鳥は時々金銭感覚がおかしくなる。充実度合いと対価が釣り合わなさすぎる。
外に出ると、いよいよキトラ古墳とご対面です。
…ちっさくない?
もちろん、古墳時代終末期の古墳なので小さいのは当たり前なんですが、それにしても小さい。高松塚古墳のイメージがあったのでより小さく感じます。こんな小さな古墳の中に、日本史上大きな発見が眠っていたのかと考えるとわくわくしますね。
古墳の前には、解説パネルや壁画の四神を鉛筆で写し取ることができるレリーフが置いてあったりします。次行くときは紙と鉛筆を持っていきます。
キトラ古墳から稲渕へ
キトラ古墳脇にある展望台で小休止。
キトラ古墳の石室に使われている石は、写真に見える二上山の石なんだそう。あんな遠くから運んでくるなんて、よっぽどいい石だったんでしょうか。
飛鳥の風景を眺めながら、セブンイレブンのおにぎりでお昼ご飯。シラス青菜おにぎり美味しすぎません?
さて、お昼ご飯を済ませて、いよいよ第二の目的地稲渕へ向かいます。こちらも初めて訪れる場所。どんなところなのでしょうか。
キトラから稲渕まで、歩いて40分くらいだそう。真夏日の中明日香村を歩いて回った僕には余裕ですが(慢心)。
明日香村栗原にあった案内看板を見ます。「現在地」から北に少し進んだところを右に曲がり、歩き進めます。写真中央あたりに、稲渕の文字が見えますね。ちょうど、行き道に通った休憩案内所の前の交差点を右折。
のどかな風景。
明日香村で小高い丘を見かけたら全部古墳じゃないかと疑ってしまうくらい、飛鳥は小さな古墳がたくさん。ちなみにこれは本当にただの丘らしい。
小高い丘の麓に鳥居。天皇陵の証です。写真は「文武天皇陵」。ちなみに文武天皇の墓については、最近の発掘調査で中尾山古墳が本当の墓であると判断されていますが、じゃあこの陵は誰のなんだって話ですよね。そんな飛鳥の謎に思いを馳せながら、歩みを進めます。
「かんきつ発祥の地」だそうです。飛鳥は古代ロマンに満ちた地であると同時に、農村地域。特に果物の生産が盛んなようで、至る所にかんきつやイチゴの農園があります(ここでは便宜上イチゴを果物とします)。
というか…
坂しんどい。
この写真の場所でまだ目的地まで半分くらいの所なんですが、延々このようなだらだらとした登り坂が続きます。歩くことを想定した道ではないからか、歩道もありません。時折通過する車の運転手が「なんだこいつ?」みたいな感じで見ていきます。
うるせー、ただの飛鳥オタクだよ。
「今ならまだ引き返せるよ?」と言わんばかりの案内看板。それでも負けじと進みます。この先に待つ、まだ見ぬ景色を目指して。
そして…
ついに到着!第二の目的地「稲渕」の風景です。正確には奥の方の集落は「祝戸」なのかもしれませんが、今はそんなこと考えている余裕はありません。長い道のりを経て、ようやくたどり着いた景色。しばし堪能しましょう。
「飛鳥川 たゆたう稲の渕の田の 永く来るは 悠久の路」
この地は万葉集にも詠われた地。僕も調子に乗って一首詠んでみました。素人だから温かい目で見てください。一応、
「飛鳥川が揺蕩い、稲も揺蕩う稲渕の田を見るために、飛鳥の悠久の歴史と同じような長い道のりを来たよ」
みたいな意味です。はい。
稲渕
キトラからはるばる40分かけてやってきた稲渕の地。山に囲まれたこの集落にはいったい何があるのでしょうか。
稲渕で毎年秋に開催される恒例の「案山子コンテスト」。その作品の写真が張り出されていました。
シュールすぎる。
キトラでも見ました、こんなシュールな作品を。飛鳥的センスということなのでしょう。二枚目なんて、かつて政治の中心であり国際交流の拠点でもあった飛鳥らしいいい作品だと思います。「案山子」なのかは怪しいですが…タテカン?
そんな案山子コンテストの作品を堪能し、さらに奥へ。
「男綱」です。
稲渕地区では毎年正月、「綱掛神事」といわれる行事が行われ、その時に毎年かけられる綱です。五穀豊穣と子孫繁栄、悪疫退散を願いかけられるのだそうです。稲渕よりさらに奥「栢森」集落でも同じように綱掛神事が行われ、そちらの綱は稲渕の男綱に対し「女綱」と呼ばれています。
…ちなみになぜ「男綱」なのかは、なんとなく察してください。綱の中央についてるものがいわゆるそれを模しているからです。
稲渕では、もう一つ見たいものがあります。
手で案内してもらっていますね。従いましょう。
めっちゃ狭い道を行きます。両脇には畑もあって、本当に地元の人専用の道らしい。気を使いますね。
このような細い道を進むと、川が流れており、そこに目的のものがあります。
「万葉の飛び石」です。
「飛鳥川 明日も渡らむ石橋の 遠き心は想ほえむかも」(詠み人知らず)と万葉集に詠われる飛び石で、古くは万葉の時代から今まで残る風景であることがわかります。
この川を、飛び石を眺めながら、大切な人を思った作者の気持ちに寄り添ってみたり。
渡ることもできますよ。冬だからでしょうか、水が透き通っていて大変美しい。
川のせせらぎを聞きながらいつまでもいられそうですが、お気づきの方もいるでしょう。そう、曇ってきてるんです。
少し肌寒くなってきました。名残惜しいですが、次の場所に移りましょう。
ちなみにこの稲渕の集落では、皇極天皇が、長く続く日照りを収めようと祈りをささげ雨をもたらしたともいわれています。稲渕には「九頭竜」と言われる竜神様の伝説も伝わっており、もしかしたら彼女の祈りが竜神様に届いたのかもしれませんね。
稲渕から祝戸へ
さて、今回の飛鳥旅で目的地として考えていたのはキトラと稲渕の二か所だったので、後は復路になるわけですが、せっかく来たのですから違う道を戻ることにしましょう。
微笑ましい「いなぶち」の文字を横目に進みます。
祝戸地区を目指します。遠くから子どもの泣く声が聞こえてきて心配になります。大丈夫だったでしょうか…
飛鳥ののどかな空気の中にいると、子どもたちの遊ぶ声が時折聞こえてきて癒されます。のんきだなあ。
のんびりと歩いていたら到着しました、祝戸です。「いわいど」と読みます。
特に何があるのか、あまりよくわかりません。宿泊施設「祝戸荘」があるということぐらいしか知りません。
と思っていたら…忘れていました「こいつ」の存在を…
この先少しだけ卑猥です、閲覧注意
_人人人人_
> 一物 <
 ̄Y^Y^Y^Y ̄
そう、まごうことなき「あれ」です。名前も「マラ石」とド直球。
何のために作られたのか不明の石造物で、おそらくは子孫繁栄や豊作祈願のためのものなのでしょう。「あれ」はそういうものの象徴として扱われることが多いですから…
さらに驚くべきことに、こいつには相方がいます。それが向かいにそびえ立つ山、
「ふぐり山」です。
何で相方がいるんだよ。もうなんか、楽しんでるでしょ。
これらを見学していたら、地元の方でしょうか、たくさんの人が集まってきました。
なんだかとっても恥ずかしくなって、そそくさと退散してしまいました。誕生日に何をやってるんだ僕は…
祝戸から岡寺へ
本当に気恥ずかしくなった。家の中で一人で下ネタ考えてるときは大丈夫なんですが、オープンな空間での下や他人が話している下はどうも恥ずかしくなってしまうんですよね…昔からです。
さて、後はもう帰るだけなんですが、この時時刻は午後1時。まだ帰るには早い。
ということで、せっかく来たのだから「あのお寺」にお参りしようと思い立ちました。ついで参りは良くないことだと教わってきた人間ですが、「今年の厄払いと22歳の1年の安泰」をお祈りしようと目的をもってお参りすることにしました。仏さまもそこまで厳しい方ではないでしょう。お許しください。
石舞台地区を経由。前回訪れたので、今回はスルー。しかしいつ来ても、石舞台周辺はにぎわっていますね。他の寺社や遺跡古墳はそんなに(というかほとんど)混雑しないんですが。
石舞台から、信号を右折して山道を進みます。また坂。少しずつ足にダメージが溜まっていきます。
飛鳥を楽しんで回れるように、脚力と体力が必要ですね。来年は運動しないとなあ。
徒歩専用のショートカットルート。ね?徒歩で回るべきだというのはこういうことなんですよ。
岡寺
そう、「岡寺(龍蓋寺)」にお参りします。
岡寺は日本最古の厄除け観音とされ、西国巡礼7番札所にもなっています。正式には龍蓋寺(りゅうがいじ)といい、開祖義淵僧正(ぎえんそうじょう)がかつて飛鳥の地にいた悪龍を小池に封じ込め蓋をしたという伝説に由来します。
ご本尊は日本最大の塑像とされる如意輪観音像で、インド、中国、日本の土を使い弘法大師空海が作られたものとされます。白い肌と赤い口元のコントラストは、美しくもありどこか異国情緒や不気味さも覚えます。ありがたいのには間違いありませんが。
お参りしてきます。
本堂の脇に、「厄除鐘」なるものがありました。一突きすると、ありがたい鐘の音が境内に響き渡ります。
岡寺によれば、数え22歳は男の厄年だそうです(大厄ではありません)。僕は実年齢22歳ですが、22歳なことに変わりはありません。観音様にお祈りし、この1年無事に過ごせるようお願いしてきました。
おみくじ。22歳だから22番という、安直な発想。
いつも末吉どまりの僕ですが、この日は中吉。「今日よりもさらに素晴らしい明日になる」みたい。嬉しいですね。
岡寺から飛鳥駅へ
岡寺で無事お参りを済ませ、いよいよ駅へ戻ります。しかしわざわざ遠回りをして、甘樫丘の方まで回ろうとするのがよくないところですね。できるだけ長く飛鳥を楽しみたい。そういうことです。
岡寺参道。寺直前に坂が猛威を振るうのでお参りの際はご注意ください。僕は足を砕かれました。
道中見かけた飛鳥自販機。ほしい。「飛鳥」の文字のデザインが最高ですね。
ここから先は、飛鳥寺や水落遺跡などこの前の旅でじっくり堪能した場所を眺めて回っただけなので省略。詳しくは前回のブログをご覧ください。
遠くに「雷丘」を望む。
柿本人麻呂の「大君は神にしませば 天雲の雷の上に廬りせるかも」という歌が万葉集に収められています。かつてこの丘に雷神がおり立ったのだとか。
飛鳥一のお気に入り「亀石」にも顔を出してきました。やっぱりかわいい。
今回は正面から撮影。
その後、ダメージが限界に達した足を何とか引きずりながら飛鳥駅へ戻り、今回の旅を終えました。
最後に
以上、5時間半14kmに及ぶ飛鳥旅、終了です。
足こそくたばりましたが、非常に充実した誕生日を過ごすことができて満足しています。
今回の旅は、今まで訪れたことのない場所を中心にめぐりましたが、やはり飛鳥は奥が深いですね。まだまだ知らないことがたくさんあります。
また、今回はあきらめてしまった場所もあるので、次はそういったところを回りたいですね。もちろん、徒歩で。
ここまで読んでくださりありがとうございます。ここまで読んでくれた人はいるのかな?ぜひ飛鳥に足を運んでみてくださいね。「密」とは無縁の世界なので、このご時世どこかお出かけしたいなあと思う人におすすめですよ。
それでは、また。