目兎龍日記

徒然なるままにオタクが硯に向かひて書くブログです。

我慢できない感情を吐き出させてくれ

何事もちょっとかじったら満足してしまう僕にとって、ブログもまた例に漏れなかったらしい。久しぶりにブログを書くことになる。

何を唐突に書く気になったかといえば、がっこうぐらし!最終話についてである。実を言うと、がっこうぐらし!に関しては単行本勢であったため、11巻から最終話までの内容がごそっと抜けた状態で読むこととなった。そのため、感想などを書くのは単行本完結12巻が発売されてからにしようとも思ったのだが、一夜明けなお冷めやらぬ思いをとにかくどこかにぶつけたいと思ったため、ブログにしたためる次第である。なお、先にも述べた通り内容を把握していないままでの感想であるので、本編と矛盾することを言うかもしれないがご容赦願いたい。

さて、がっこうぐらし!といえば、よくも悪くも僕のオタク人生に大きな影響を与えた作品である。それまでほのぼのした劇的なドラマ展開もない日常を描いた作品ばかりを嗜んでいた僕にとって、この作品はあまりに衝撃的だった。非日常を日常に生きる彼女たちの姿は、僕の心に強く印象づけられ、アニメで知ったその瞬間話が気になりすぎて単行本を買い揃えてしまったほどだ。それほどまで僕の心に残った作品の最終回となると、当然その内容が気になる。

普段は買わないきららフォワードを手に取り、最終回を読んだ率直な感想は言葉にできない。一通り読み終えたとき、僕の心にはあらゆる感情が一斉に押し寄せぐちゃぐちゃになってしまったからだ。フォワード発売から一夜明け、少し落ち着いてきたところで、一つ一つ感情を整理していきたい。

まず、彼女たちに未来があって本当に安心した。そのときそのときを必死に生きようとしていた彼女たちにとって、その先に未来が広がっているという結末は最も救われる結末であり、読者である僕自身すごく救われた。また、それぞれがそれぞれの道を歩んでいることを「嬉しい」とみーくんは表現していたが、まさにその通りだ。あの事件がきっかけで一つになった彼女たちが、あの事件を乗り越え別々の道に進む。心が繋がっているという互いへの強い信頼感あってこそのあの選択なのだろう。彼女たちは本編の物語を通して、とても強くなったと思う。個人的には、みーくんが旅をしてその旅先の出来事を「日記」として残して廻っているという生き方が、松尾芭蕉松浦武四郎に近いなにかを感じてすごく好きだ。これからも復興物語を記し続けてほしい。
とはいえ、本編で残された謎がうやむやに終わっているところもあるのは事実だ。一番の謎は、「Ω」の存在だ。作中で当初「Ωはウイルスであり、急速に変異したウイルスが空気感染する」という予測がされ、それが読者である僕もスッと受け入れられた。ところが、彼女たちがランダルコーポレーションで知った真実は、「Ωは細菌である」というものだ。ここで一気に先の見立てが崩れ去った。細菌となると、ウイルスの比にならないほど複雑な構造を持ち、その変異速度も遅くなる。そうなると、なぜ突然空気感染する個体が現れ、武闘派をはじめ多くを苦しめたのか。その謎が深まってしまう。これは推測であるが、もともとΩには接触感染性のものと空気感染性のものが存在し、諸々の騒動のなかで空気感染性Ωも流出してしまったのではないかと考えるのが自然だろう。本編のある意味「核」となる部分がぼかされたのは少し残念だ。
そして、「彼ら」はどうなったのか。3年後、彼女たちは当たり前のように日常を取り戻しつつあるが、少なくとも数億は「彼ら」が存在したはずのあの地球で、それらを全滅させることが果たして可能だろうか。人類は50億羽も存在したとされるリョコウバトを滅ぼした前科があるので、不可能とは言えないが、三年という月日で一掃したのは現実的ではないように思われる。それこそ核武器を用いて広範囲で一斉に攻撃するほかないように思うが、そこは単行本に期待したいところだ。

読者にとって、あの世界はとっくに希望がない世界で、人類にとってある意味捕食者である存在が繁栄した世界である。そんな世界で、その捕食者を滅ぼしなお人類が生き残ったとするあの最終回は、救いこそあれ少しご都合主義が過ぎないかとも思った。「感動した」「よかった」などという簡単な言葉で済まされなかったのは、これだけの感情が一度に沸き上がりうまく表現できなかったからである。

とはいえ、まだ12巻に収められる内容のほとんどを読んでいないので、もしかしたらそこまでの間に語られていることもあるかもしれない。本当の完結を期待して待ちたい。